早朝、人が訪ねても失礼じゃない時間に里へ向かった。式を出せば、執務室へ来いと返事が来た。
このタイミングでの、呼び出し。
思い当たる節は、いくつかある。
依頼人からの苦情。
俺の情報がどこかで漏れた。
アカデミー内での事故や事件。
ーーーカカシとのことがバレたか。
どれをとっても良いことなど一つもなかった。
嫌な汗をかきながら、ドアをノックする。
「入りな」
中から厳しい声がした。
緊張しながら入ると、綱手様は険しい顔をしながら俺のかかっていた術をといた。
久々に「海野イルカ」に戻る。
「お呼び、ですか・・・?」
何故戻されたのか。
恐る恐る彼女の顔色を探ったが、ただ苛立っていることしか分からない。
「全く、あのじいさんとんでもない約束をしおって」
「はぁ」
「あぁ、もう!お前もとんでもない奴に目をつけられて!哀れとしかいいようがないよ!」
「あの、お話が見えませんが・・・」
「ともかく!」
バンッと力一杯机を叩く。また机にヒビが入った。
「今日一日はこちらに居てもらうよ!書類の整理だ!」
脈略は何一つ分からないが、どうやら俺を呼び戻さなければならないほど書類が溜まっているらしい。確かに机いっぱいに書類が積んであった。
「私が何かミスしてしまった、わけではないのですね」
「任務の方は特に心配しておらん。立派に化けていると評判だぞ」
「綱手様直々の術ですから」
そう言うと、お前は何にも分かってないな!と怒られた。やけにイラついている。どうせまた賭けに負けたのだろう。俺は気にせず山積みになっている書類に目を通した。



「おぉ!イルカじゃないか。久しぶり」
「あぁ」
受付の同僚と廊下で出くわした。相変わらず忙しそうに大量の書類を持ってバタバタと走ってきた。
「お前任務に行ってるんだと思ってたけど、なんだ、里にいたのか」
「綱手様の書類処理。しばらく書庫に篭もりっきり」
「綱手様二人っきりか?羨ましいなぁ」
「バーカ」
久々に軽口が叩けてフッと心が軽くなる。俺の愛してやまない日常があった。
「お前が居なくなったせいで受付ぐちゃぐちゃだぞ」
確かに一ヶ月前受付の人間が一人任務に駆り出されていた。一人減っただけでもてんてこ舞いなのに更にもう一人減れば休みなく働かされるだろう。
任務なので仕方ないが、同情する。
「しょっちゅう海野はどこだって聞かれるぞ」
「え?俺何かしたっけ?」
「知らん。葛城上忍、比樂上忍、篠目上忍・・・、上忍ばっかだな」
「あー、ハハハ・・・」
皆知り合いばかりだった。特にこれと言って用はなかったはずだが、ただ不在なのが珍しいのだろう。

「あー・・・そう言えば、はたけ上忍もだな」

その言葉に、頭が真っ白になった。
彼は外では極力接触を避けていた。
あくまで顔見知りという距離を保っていた。受付で俺の列に必ず並ぶわけでもないし、他の受付の奴に質問したりしていた。だから俺もそうしていたのに。
何故、わざわざ俺のことを訊ねたのだろうか。何か急ぎの用があったのだろうか。
(今日、会えるだろうか・・・)
会いたいか、会いたくないかと言われれば、複雑だ。
会えるのは単純に嬉しい。しかも偽りの姿ではなく本当の自分で会えるのだから。
だが、会えばきっと見たくもない現実が待っているだろう。いつか直面しなければならないが、今少しでも任務に影響しそうな事はしたくない。
(あぁ、そう言えば・・・)
人を好きになったのは初めてだった。
きっかけは何だったか思い出せないほど昔から、俺の心は彼だけだった。
だからだろうか。こんなにのめり込んでしまうのは。彼しかいないと思ってしまうのは。
璃宮みたいに。
いつか、また、誰かを好きになれるのだろうか。
なんだかずっと、ずっと彼のことを好いてきたので、今更そう出ない、自分が思いつかなかった。



一度家に帰っていいと言われたので、ありがたく定時に上がらせてもらった。
さてどうしようかと思う前に、カカシさんが扉の前で待っていた。
「お、つかれさまで」
「・・・・・・」
彼は何も言わず歩き出した。それは俺の家の方向だったのでついていくように、ただ隣に並ばず距離をあけて後ろを歩く。
彼は小さな家の前で目で合図した。中に入れと。
緊張しながら入ると、そこは料亭だった。高級そうな隠れ家のような。長く住んでいる俺でも知らない店だった。彼は奥へ奥へと向かう。
やはり用があったのだ。
行きたくはない。
だけど逃げることも出来ない。
俺は一瞬迷って、腹を括り彼のあとを追った。
一番奥の座敷に座ると、注文することなく料理が運ばれてきた。
「暫くだね」
彼は唐突にそう言った。
「え、あ、はい。そうですね?」
暫く。
確かに数日会ってないことになっているが、今までだってもっと長く会えなかった日もあるのでなんだか変な気分だ。
それに俺としては昨日も彼と会っているので全くそんな気がしなかった。
「まだ、整理してるの?」
「えぇ。誰かあの人に整理整頓って言葉を教えてあげてほしいですよ」
そう言うとフッと笑った。
それは偽りのない繕っていない笑みのような気がした。
その顔に俺も緊張の糸がとけた。
「カカシさんは任務でしたか?」
「そ。中々進展しなくてイライラする」
「それはお疲れさまです」
「ウン」
ゆったりとした動作で料理に箸をつけた。
それに見習って食べる。出された料理は美しく繊細で、どれも美味かった。
「美味いですね!」
気がつけば夢中で食べていた。
「イルカ肉好きでしょ?多目に用意してもらってるから」
「ありがとうございます」
「酒は辛口だっけ?」
「はい。これ美味いですね」
「シメは茶漬けにしてるけど平気?混ぜご飯苦手だよね?」
「茶漬けは平気です」
「そ」
いたれりつくせりだ。
彼はこんなふうに人と食べるのか。俺と行ったことがある安い居酒屋ではこんなふうでは無かった。今日はスマートで気が利いて紳士的だ。
なによりこの店にひどく馴染んでいる。
彼はこういうところにいるような人なのだ。
俺とは、違う。
辛口の酒は口当たりが柔らかで飲みやすいがそれなりにアルコールがあるのだろう。体がじんわりと熱くなっていく。
ボーッとなっていく思考の中でふと思う。
(あれ?俺、混ぜご飯が苦手だって言ったっけ?)
変わったこだわりのため、よく人に話すと笑われるのであまり話さないようにしているのに。
家に招いた時だっけ?
そういえば前に言ってたあの言葉変だったよな。何であのこと知っているのだろうか・・・。
「こういう店苦手?」
「え?」
ぼんやりしている俺に、どこか拗ねたように聞いてきた。
「イルカ、こういうとこあんまり行かないでしょ?」
それはいつも行っている大衆食堂のことか。
勿論嫌いじゃない。
嫌いじゃないが、行けない。
この皿一つでラーメン数杯分の値段がしそうだからだ。
「こ、こんな高級な店滅多に行けませんよ」
「そ?嫌いじゃないならまた誘うよ。ここ気に入ってるから。メシ美味いし静かでいいでしょ?イルカの手料理も好きだけど、たまにはいいね」
「はぁ・・・」
カカシさんはこういうところ慣れているのだろうな。むしろ大衆食堂とか行ったことなさそうだ。
なんだか格差を感じる。
だが、仕方ないだろう。あちらはエリート、里の誉れでこちらは万年中忍だ。
今日の支払いすら恐ろしいのに。
だが、いつも来る俺の部屋ではなく、こんな料亭に連れてきたのだ。何か話すことがあるのだろう。俺の部屋では話せない、何か、重要なことを。
酒の回った頭を一度リセットするように大きく深呼吸した。
「今日は何か用がありました?」
一応今日俺の帰りを待っていたらしい。数日前も探していたらしいし、わざわざ人に訊ねるほどだ。何かあったに違いない。
だがカカシさんはキョトンとした。
「・・・・・・ン?」
「え?」
お互い顔を見合うが、頭には共にはてなマークだらけだ。
(あれ?俺変なこと言った、か・・・?)
先に気づいたカカシさんはあからさまに顔を顰め、はぁーっと溜息をついた。
「・・・今日はイルカが本部にいるって聞いたから待ってただけだけど。イルカの家でも良かったけど数日帰ってなかったなら冷蔵庫空っぽだろうから外で食べた方が楽だと思っただけ」
「あ、そ、そうですか。受付の同僚に数日前カカシさんが俺のことを探してたって言ってたから」
「仕事終わったか確認したかっただけ。家にも帰ってきてなかったし、任務でも行ってるのかと思ったんだけど」
「あー、いや、篭もりっきりで」
「イルカ」
睨むように、どこか苛立ちながら俺の名前を呼んだ。
「オレが、イルカのこと探すのってそんなに変?会いに行くのはおかしい?食事に誘うのはまずいことなの?」
「それは・・・っ」
おかしいことなどない。
恋人が任務出て家にも帰れないのなら心配だろう。
恋人、なら。
「何度も言うけど、人に悟らせないでって言ったけど、付き合わないとは言ってない。久々に会えるなら顔みたいし、時間が合えば飯だって一緒に行きたい。イルカは違うの?」
そんなことスルスルと言うくせに。
まるで本当に愛しているかのように。愛されなくて悲しいと嘆くように。

恋人なんていないと言い切った、同じ口で。

「他に」
ぽろぽろと溢れ出る記憶は、ここ数日の記憶だ。
十年前からずっと誰かを思っていると言った綾葉さん。
誰かを思い出すように髪に触るカカシさん。
その先には、俺ではない誰かがいつもいた。誰かをいつも見ていた。恋人と言ってくれなかった俺ではなく。

「他に、好きな方がいるんじゃないですか?」

俺はきっと。
きっと、誰かの代わりだ。

カカシさんはギュッとさらに険しい顔をした。
「いない。何、急に」
「本当はずっと思ってました」
「ずっとって何?オレはイルカと付き合ってるでしょ?」
「こんなの付き合っているなんて呼べないっ!」
偶に飯食って帰るだけ。頻度だって付き合う前の方が多かった。
キスもしない。抱きあったりしない。手すら繋がない。

俺のこと好きだって言ってくれやしないくせに。
俺が好きと言ったら顔を顰めるくせに。

カカシさんはあからさまにバツの悪そうな顔をした。
「・・・イルカが不満に思うのも分かってる。だけどもう少し待っててほしい」
「何故ですか?」
「言えない」
「何故ですか?」
「だから言えないって!」
言えない?
何故?
なんの理由がある?
待てば何があるのか。
何も無いくせに。
中途半端に期待させて、近づけば突き放して、肝心なことは言わない。
それで納得すると思ってるのか。
カッと頭に血が上る。
「好きでもないなら、そう言えばいいじゃないですかっ!」
「だから違うって言ってるでしょ!・・・・・・なに?誰かに何か言われたの?いままでそんなこと言わなかったのに」
言われた?
今まで言わなかった?
違う。
違う、違う違う違うっ!
俺はずっと。
ずっと、思ってた。
ただ言えなかっただけだ。
アンタが、好きだから。
嫌われたくない、その一心だった。
「・・・・・・っ」
だけどそれはなんて滑稽なのだろう。
自分の想いを偽ってまで隣にいたいなど、それが本当の恋人なのだろうか。
「カカシさん」
泣きそうになるのをグッと堪えて、彼を見た。
顔に力を入れ過ぎて、何故か彼の顔が歪んで見える。

「俺のこと好きですか」

言葉に出た瞬間、酷く後悔した。
ひどい、ひどい言葉だ。
醜くて残酷で傲慢で愚かな。
こんなこと聞くべきではないと分かっていたはずなのに。

カカシさんは一瞬ポカンとして。
凄い顔をして俺を睨んだ。


「・・・・・・舐めるな」


侮辱めいて、どこか嘆きのようだった。
「好きですか」
「当たり前だろ。オレは陶酔や狂言で男と付き合うと思っているのか」
「好きですか」
「クドい!」
「好きですか、カカシさん」
カカシさん。
カカシさん。

「俺は、カカシさんが好きです」

俺は、その言葉に一度も偽りなどなかった。
貴方を好きだと言うことを恥じたことはなかった。
俺が唯一貴方より勝っているものは、それだけだ。

そう言うと険しい顔をしてこちらを睨んだ。
もどかしくて苦しいかのように。


「オレだって、好きだ・・・」


それは。
到底愛を囁く表情ではなかった。
まるで血反吐を吐くかのように、苦々しい表情だった。
そんなに言いたくなかったのか。そんな表情をしなければならない言葉なのか。
好き、と。
好意を伝える、ありふれた言葉なのに。
そんなに無理して言って、何の意味があるのだろうか。そこに意志が込められていないのなら、ただの不快な音だ。
彼からの初めての「好き」は醜い音へと成り下がった。
ずっと焦がれていた言葉は、なんて酷い。

そんなふうに言ってもらいたかったわけではなかったのに。
それでもいいと思ってしまった俺の心は、なんて醜いんだろう。
俺の恋心は、大事にしてきたモノは。
そんな醜いモノじゃないはずなのに。

これまでの彼への愛情がどす黒くなっていくのを感じる。
俺が少しでも感じた愛情は。
愛おしそうな表情は。
気遣った言葉は。
全部俺が無理矢理彼から吐き出させたモノだったのか。
俺が必死で守ってきた、大切なカカシさんとの思い出はそんな歪で醜いものなのか。
好きじゃなくてもいい。
同じぐらい好きを返さなくたっていい。


だけど、俺と同じ気持ちだというかのように、愛しているふりはやめてくれ。
俺の気持ちまで汚すのは許さない。



プツン、と何か切れた気がした。


ギロッと目玉を動かす。
彼が一瞬怯んだように感じた。
「もうやめましょう」
「はぁ?」
「もう、終わりにします」
「イルカ」
「俺は、もうウンザリです」
「イルカ」
「これ以上っ」
熱い液体が、目から溢れ出た。
キラキラ光るそれは、まるで大切な思い出のようだった。

「カカシさんを嫌いになりたくない・・・っ!」

この綺麗な恋心を大切に大切にしまっておきたい。貴方との思い出を嫌なものに変えたくなかった。


だって恋は綺麗なものだろう?
醜くて、情けなくて、悲しいものじゃないだろ?



ピーッと音がする。一瞬身構えたが、式はカカシさんのところに止まった。
紙になり、すぐに燃え上がった。
「行かないと」
はぁーっと深い溜息をつくと、立ち上がった。
「帰ってたら、ちゃんと話すから」
「いいえ、結構です」
「オレはイルカと付き合いたいから付き合ってるし、他に好きな奴もいない」
「もう俺は・・・っ」
言葉を言う前に、胸ぐらを掴まれた。そのまま勢いよく引き寄せられる。近すぎてちゃんと見えなかったが、険しく歪んだ目が、やけに荒々しく、どこか痛々しいく見えた。
えっ・・・と声にするよりも前に。
かぶりつくように唇を塞がれた。

キスされた。
数秒たってようやく理解するが、どこか夢うつつだった。
今まで一切触れなかったのに、何故。
レロッと彼の舌が、俺の唇を愛撫するように撫でた。

「黙って待ってて」

そう言うとさっさと身支度を終え、部屋から出ていった。
ポツンと取り残された俺はその場でへなへなと倒れ込んだ。
酒の勢いで一気に言ってしまった。ぼんやりした頭だが、どこか爽快感があった。
言えた。
言いたい事全て言えた。
相手に通じたかどうかは微妙で、状況は何も変わらず、彼は頑なに頷かなかったけど、それでも。
少しだけ気が楽になった。






翌日、五代目の所に訪れ、術をかけてらった。
「書類の整理も助かった。シズネが泣いて喜んでいたぞ」
「キチンと整理してくださいよ」
「その顔で言われると中々可愛いな!」
全く響いていない様子でさっさと追い払われてしまった。
きっと帰ったらまた溜まっているだろう。
遊廓に戻り、裏口から入った。まだ早朝のためか静まり返っていた。
足音を立てず、部屋に入る。

そこには部屋いっぱいに贈り物があった。

着物や髪飾り、化粧道具から香、はたまた菓子まで多種多様だ。
部屋を間違えてしまったのか。
慌てて外に出るが、どう見ても俺の部屋だった。
もう一度部屋に入る。もしかして里から支給されたモノかもしれない。急いで宛名を探した。
贈り物の中に小さな手紙が置いてあった。
「えっと・・・・・・、離宮?」
思ってもみない名前にクラッと眩暈がした。
金の使い方と女には気をつけろとあれほど言ったのに。
初対面の女にこんなに口説いてどうする。金じゃなく心で勝負しろと伝えたはずだが、こんな成金みたいなことをするようになったとは。
時とは残酷だ。
はぁーっと溜息をつくと部屋の隅に全て追いやった。この処分はそのうち考えよう。
昨日一日何か変わったことはなかっただろうか。
俺は部屋から出て、起きている人を探した。
下に降りてみると下人などがバタバタと動いていた。どこか異様な雰囲気を感じた。
「おい、またか」
「今度は二件隣の店らしいぞ。確か凛桜とか言ってた、あの別嬪さんな遊女」
「顔がズタズタだったらしいな」
ドクンッと嫌な予感がした。
その言葉はまるで。

まるで、また殺人事件が起こったようだった。

そういえば、昨日カカシさんが呼び出されていた。まさかあれはその知らせだったのか。だからあんなに急いで出かけたのか。
この状況が良いか悪いかは分からない。
外に出て情報を集められるだろうか。だけど今足に怪我をしていることになっている。変化の術も使えない。そこで誰かに会えば嘘がバレてしまう。
下人たちを金で買うか。いや、下手に探っていることを悟られるのは良くない。俺はただの伝達役となっているだけだから。
幸いなことに、下人たちはベラベラと喋ってくれた。
凛桜という名の遊女が昨夜殺されていたこと。場所は彼女の自室だった。その日は客をとっておらず一人だったらしい。自室は四階の窓際。外からだと一般人では中々侵入が難しいそうだ。
そして、先日大名の子息との身請けが完了していた。
狂気は刃物で全身を、特に顔をズタズタにされていた。
恨みを買ったような強い殺意を感じたらしい。

犯人は確かに近くにいる。
これからも殺し続けるだろう。
早く見付けないと。

俺は静かに部屋に戻った。



夕暮れになるころ、コンコンとノックされた。
「こんばんは」
「綾葉さん」
ニコッとどこか優しい顔をした綾葉が立っていた。
「昨日はお出かけだったの?」
「あ、はい。足のことを医者に」
「髪切りっぱなしだったから切ってあげようと思ってたの」
そう言ってハサミを取り出した。
すっかり忘れていたが、そうだった。髪を触ると中途半端に切り落とされていた。したのは俺だが。
「わざわざすみません」
「いいの。私が変なこと言ってしまったから」
そう言って俺の後ろに座り、手早く切っていく。
「適当に切るから、また時間が出来たらきちんとしたところで切ってね」
「はい」
そういいながらも、どこか手際がいい。
「綾葉さん、上手いですね」
「手に職を持ったら食べていけるんじゃないかって思って頑張ったことがあったの。でも髪結いってお給料安いのね。吃驚しちゃった」
うふふと嬉しそうに笑う。
「綺麗な黒髪ね」
鏡にうつる俺は、俺に似ているが、やはり女なので華奢で小さい。日に焼けた肌は浅黒いが、黒い髪や目は綺麗に見えた。
彼のことを好きになってから、女だったら、と思ったことは多々あった。
そしたら人前でも話しかけても違和感がないだろうか。
彼に触れてもおかしくないだろうか。
彼を好きになっても許されるだろうか。
それはありえない未来なので、そこから先は考えられなかった。
赤い唇が夕焼けに照らされる。
昨日彼は、キスした。その意図も意味も全く理解できなかったが、それでも確かに触れた。

「黙って、待ってて」

まるで口封じのような言葉。
待ってて欲しい、もう少しだからと何度も繰り返した。あんな必死な顔をして。
その先には、なにがあるのだろうか。

「あら、ナギさん贈り物が沢山ね」
後ろに山になっている離宮からの贈り物を見て言った。
「・・・えぇ、とても困ってて」
「あら、いいわね。素敵な方?」
「初対面ですよ」
「じゃあ一目惚れね」
彼女は自分は信じてないくせに、どこか恋に夢を持っている節がある。尊くて綺麗なものだと。
「とても高価なものばかり・・・。ナギさんのこと本当に好いておられるのね」
「そうですか?」
「この世界では贈り物が求愛行動なのよ。それに裕福は不幸になることもあるかもしれないけど、貧困は不幸にしかならないわ。お金なんてあればあるだけいいと思うけど」
微笑みながら綾葉さんに言われると言葉の重みが違う。
俺はどう答えていいか分からず曖昧に笑った。
「できたわ」
適当に切った髪は顎下ぐらいに綺麗に切り揃っていた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。とっても可愛いわ」
俺の髪をどこか愛おしく触れた。
「・・・・・・黒髪が好きなのですか?」
綾葉さんは珍しい藍色の髪だった。長く美しく束ねた髪には見向きもしないで俺の髪ばかり触れる。
「えぇ。雪姉が美しい黒髪だったの」
目をキラキラさせながらそう言った。
彼女の中から出てくる大半の言葉は雪姉だ。たった短期間でこんなにもこの人の中に侵入しているのか。
しばらく話し込んでいると、ふと昨夜の殺人事件について聞いてみようと思った。世間話の流れで伝えれば疑われることはないだろう。
「そういえば、また何処かの遊女が殺されたそうね」
そう言うと、あぁ、とどこか興味なさそうに答えた。
「みんなその話でもちきりね」
「綾葉さんも気をつけてください」
「あら、私なんて殺そうと思う方がおられるかしら」
「そりゃ・・・」

「殺された彼女たち愛故に殺されるのだから。私を愛してくださる方はいないわ」

それは、身請けが決まっているからという理由だろうか。
愛されて、自由になると思った瞬間、殺されるのだ。

「雪寧さんは・・・」

彼女は、おそらく口封じに殺されたはずだ。
だけど、綾葉さんは、そのことを知らないはずだ。
知らずに、泉だと思っている。
この連続殺人犯だと思っているのだ。

その理由はなんだ。

「どうして泉さんに殺されたのだと思っているのですか?」
綾葉さんはゆっくりと瞬きをした。開いた目はどこまでも透き通った、まるでガラス玉のような藍色だった。


「独占したいからよ」

決まってるでしょ?


そんなこと、当たり前のように。


「ここで結ばれるには、身請けされるか殺すしかないのだから」
それは酷い妄想だ。
彼らは同じ里の人間だ。身請けする必要などまるでない。だからこそ殺す必要もない。
彼らが恋人だったという報告もないし、任務なのでそんなこと言ってられないだろう。
「泉さんが、他の遊女も殺したと?」
そう言うとクスッと笑った。
「ナギさんっておもしろいこと言うのね」
「おもしろい?」

だって。

クスクスと本当に可笑しそうに。
とろりと歪んだ目は、隠れきれない狂気が染み出ていた。




「どうして泉が雪姉以外を殺さなければいけないの?」




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