amaretti(アマレッティ)
小麦粉の代わりにアーモンドプードルを使った焼き菓子
スイート種(甘扁桃)とビター種(苦扁桃)のアーモンド両方を用いるため【ほろ苦い】という意味の名称を持つ



「イルカ先生、バレンタインデーって知ってますか?」
「バレンタインデー?」
聞き慣れない単語だった。
頭を一周して該当する文字がなく首を横に振った。
「すみません、勉強不足で」
「い、いえ。外国の文化で、オレもたまたま耳にしただけですから」
まいったなぁと呟きながら酒を煽った。強い酒だから一気に飲むと喉が焼けるように熱くなるのに。
今日の彼はどことなく変だった。そわそわと落ち着きがなく、ぼんやりとしていて、時々あーとかうーとか言葉にできない想いをはき出していた。
(なんだろう?)
「その、バレンタインデーというのは、すすすすすすす」
「す?」
酢?
「っ、あの、し、親しい人たちで、チョコレートを渡し合う日だそうですっ」
「へぇ。変わった文化ですねぇ」
と言うことはその日はチョコレートを大量に食べられるのだなとなんだか嬉しくなる。
チョコレートも数年前に異国から里に持ち帰られ、あの甘い口溶けが気に入って何度か購入したことがある。甘いのから少しほろ苦いのまで多種多様で、見ているだけでも幸せになれる素敵なお菓子だ。
「あの、それでっ」
またぐいっと酒を煽る。普段強いのかあまり染まらない顔が真っ赤になっていた。明らかに飲みすぎだ。
「カカシさん、飲み過ぎですよ?」
「いいんです、言わせてください先生」
力強くお猪口を置くと赤い顔をした彼が少し潤んだ瞳で俺を見た。
どうでもいいけどお猪口とチョコって似てるな。いや、言葉だけだけど。
「オレ、先生からチョコレート欲しいんですっ!!」
そう言うとわぁっと大きく叫んで机に俯した。
違うだろうとかそこは貰ってくれますかだろうとかぶつぶつと呪文のように呟く。
なんだか、よくわからないけど。
つまりこれは、チョコを欲しがっているのか。
つまりそれは。
「俺ので、よければ」
俺のこと親しい人だって、思ってくれているのだ。
階級も違うのに気さくに誘ってくれて。
面白い話しなんかできないのに、嬉しそうな顔して話しを聞いてくれて。
どうして俺なんかと思いながらも、それでも嬉しくて、でもなにか不安で。
俺のことなんて思っているんだろうと、聞くこともできなくて。
それでも確かに俺のこと親しい人だって思ってくるのだ。
頷くと、カカシさんは勢いよく顔を上げて。
へにゃっと笑った。
「先生、せんせ。ありがとうございます」
嬉しい、嬉しいですと笑った。
なんだか照れくさくて鼻を掻く。
そんなに喜んでくれるなら、チョコの一個や二個好きなだけ与えてあげるよ。
そこでふと思う。
あれ、確かカカシさん甘い物嫌いじゃなかったっけ?
「カカシさん、甘い物大丈夫なんですか?」
「平気です。全然平気です!!」
強く頷かれた。
「先生。じゃあ2月14日にもらえますか?オレもらいに行っていいですか?」
「はぁ」
2月とはまだ一ヶ月ぐらい先の話しだ。そんなに欲しいなら明日でもあげるのに。そこら辺で買えるそう高価ではないのに。
(珍しいものが欲しいのかな)
それならそれで考えなければならないが。
それでも、さっきまでそわそわしていたのが落ち着き、嬉しそうに笑うカカシさんを見る。
きっとチョコレート食べたかったんだな。でもカカシさんみたいなエリートでかっこいい人があんな女向けみたいな甘い物食べていたらイメージ崩すから嫌なんだろうな。
最近ピンク色になってきたチョコレート専用のコーナーを思い出す。あそこにカカシさんがいたらきっと浮くだろう。俺だってなんか居心地悪くて立ち寄らなくなったのに。
それでも、そんなに嬉しいのなら。親しい俺からもらうのがそんなに嬉しいことなら。
「先生、すっごく楽しみにしています」
「えぇ。頑張ります」
とびきり喜ぶようなものを彼にあげよう。



二月になると一気に冷え込む。
12月に彼からもらったマフラーは柔らかな肌触りで風を一切寄せ付けない。きっと高価な物だろうと返そうとすると、なんと彼の手作りらしい。
「あんまり上手くないんですけど。最近縫い物にはまっていて、先生さえよければもらってください」
なんて頬を染めて言うのだから大切に使わせてもらっている。
もうすぐ14日が近づく。
だが、近づくにつれあらゆるところにチョコレートを見る。しかも大量のハートとともに。それに群がっているのは女性だけだ。
(なんか、変だな・・・)
違和感を覚えながらも、彼女たちの異常な熱気に圧倒されて一瞬たりとも長居できない。あそこに一歩でも入ってしまうと白い目で見られるのは明白だ。
あれが、バレンタインデーの効果だとはあんまり思いたくない。
そんなものでバレンタインデーというものが、あんまり良く分かっていなかった。
「イルカ」
「おう、お疲れ」
残業帰りに立ち寄ったスーパーで同僚に出会う。
かごの中には自分と似たような総菜が入っており、独身は虚しいななんて思う。
「いやー、今日もこんな味気ないもの喰って終わるのか」
同僚も同じこと考えていたのかはぁとため息をついた。はははと笑いながらレジに向かう。
「うひゃー」
例のピンク色のコーナーを見て、同僚が悲鳴をあげた。
「相変わらずあそこは異様だよな」
「すごいよなー。なんであんなにピンクなんだろう」
まるでラブレターみたいだななんて言うと、同僚が吃驚した。
「お前、バレンタインデー知らないのか?」
 「知ってるよ。親しい人にチョコレートやる日だろう」
そう言うと複雑な顔された。
何でだ?
「親しいというか、まぁ友チョコみたいなのあるから外れてはないけど。一番は女が好きな人にチョコやる日だよ」
「はぁ?」
なんだその限定は?
と思ったが、何となくそう見るとあのコーナーがしっくりくる。いかにも女性が好きそうで、まるで告白の必需品の花束みたいな煌びやかさがある。
「お前、去年とか貰わなかったのか?」
「んー?」
考えてみると、何となくやたらお菓子を貰う日があったな。みんな変わった服着て、外国の言葉を呪文のように叫んで。でもあれは秋じゃなかったか?
「それはハロウィン。お前本当に疎いよな」
ため息まじりに言われた。
「いや、でも」
じゃあ、なんでカカシさんはそんなこと言ったのだろう。
(勘違いしているのかな?)
「誰に聞いたんだよ」
「カ、はたけ上忍に」
「はぁあ?」
一気に表情が険しくなった。
「お前まだあの上忍に絡まれてるのかよ」
「絡まれてるって。よくしてもらってるだけだよ」
「よくしてもらってるって。・・・あのなぁ」
なんとなく言いたいことが分かるので耳をふさぎたくなる。中忍と上忍が仲良くやるのを傍から見ている人はあまりよく思われない。中忍は立場が低いため無理強いされている関係が多く見られる。ここでは上下関係が徹底しており、下の者は何をされても文句が言えないのだ。
「俺は心配しているんだぞ。あの人はあんまりいい噂聞かないし」
「噂?」
「女癖が頗る悪いって」
その噂は実は自分も聞いていた。
曰く、一度抱いた女は二度と抱かない。
曰く、決して誰も心を許さず誰も入り込めない。
曰く、魅了された相手は、一生その呪縛から離れられない。彼に恋い焦がれた相手は、ただその身を焦がす炎に燻られて死ぬだけだ。
決して好きになってはいけない相手なのだ。
(知ってるよ)
だから躊躇していたのだ。
なのに彼は無邪気に、まるで俺のこと特別のようにあつかうから。たまに勘違いする自分を戒めるんだ。
俺と彼は友人だって。それ以外何ものでもないんだって。
噂は噂かもしれない。だが、彼の行動が、あの全てを魅了する姿が、それを裏付けているようで踏み込めない。
彼の心にも、自分の心にも。
「でも、彼が勘違いしただけかもしれないし」
「んなわけねーだろ。あの人去年嫌みなほどもらってたんだから」
「そう、なのか・・・?」
だとしたら、本当に意味が分からない。
「イルカは単純で反応が面白いから、からかいがいがあるって専ら評判らしいぞ。上忍の間で」
「・・・・・・まさか」
あのへにゃっと笑った顔を思い浮かべる。
そんなはず、ない。
だって、あの人はあんなに嬉しそうに笑ったじゃないか。
ほしいって、俺からのがほしいってあんなに赤い顔して必死に言ってくれたじゃないか。
あれが嘘だって思いたくない。
「・・・・・・いい加減、見切りつけろよ」
ショックで動けなくなった俺の肩をたたき、同僚は去っていった。
手が、小さく震えている。
違うと思っているのに、ならこの震えはなんだよ。



14日の朝、綺麗な式が届けられた。
昼間には帰りますので、夕方アカデミーの前で待っていますという簡潔な文だった。
二週間の長い任務だったが、どうやら無事に帰ってくるらしい。ほっと息を吐く。
鞄には一応買ったチョコレートが入っている。寒い季節だ。暖かい場所に放置しなければ溶けることはないだろう。
あれからこの意味を考えたが、結論は出なかった。
分からなくていい。分からないなら、聞けばいいだけだ。
本当に親しみを込めて欲しかったのなら、それでいいじゃないか。世間とは少しずれているかもしれないけれど、それでも親睦が深められてきっとバレンタインさんも大喜びだろう。
よっしと気合いを入れて仕事に向かった。



思ったより仕事が手間取り遅くなってしまった。
急いで玄関に向かうと人影が見えた。
呼びかけようと思って近づくと、そこにいたのは一人ではなかった。
「やっと見つけた。こんなところで何してるの?」
「んー?人待ってるの」
愛用の本から目線もあわさずに言う。だが隣にいる彼女は気にしないのかにこにこと嬉しそうに彼に近づいた。
「これ」
それは一目で本気だと分かる綺麗にラッピングされた箱だった。
(うわっ、もしかして告白されているのか)
人ごとなのにドキドキとして物陰に隠れてしまった。
相手を見る。知っている顔だった。たしか上忍で評判のいい短髪が印象的な人だった。
(さすが、カカシさん。こうやって普通に告白されるんだなぁ)
思えば俺は告白されたこのなどわずかなものだった。男としてこの差に凹む。
「いらなーいよ」
冷たく言い放った。
ピシッと心にヒビが入った気がした。
「何で?ほしいって言ったじゃん!!」
「言ってないデショ?バレンタインデーのこと聞いただけ」
「それってつまり欲しいってことじゃない」
「ちがーうよ」
鬱陶しいなというようなぞんざいな扱いだ。
それでも何か言いたげな彼女にちらっと一瞥する。
「うるさいから、消えて?」
ゾッとするほど冷たく、それでいて美しい声だった。
有無を言わさない、心に入る込める隙間さえないような低い声。
「っ!馬鹿にして」
手に持っていた箱をぶつけると足早に去っていった。
面倒くさそうに落ちたチョコを拾う。
ほっとした。
やっぱりなんだかんだ言ったって嬉しかったんだ。
そうだよ、そこまで非道の人じゃない。
そう思った瞬間手から炎があがり、一瞬にしてなくなった。
ゾッとした。
あんた、それをどんな思いで渡したのか知っているのか。
どんな思いで選んだか知っているのか。
何が喜ぶだろうかなんて考えながら何時間も何時間もただあんたが喜ぶ顔を見たさに選ぶのを知っているのか。
知らない。
あんたは何も知らない。
そうやって無意識に人を魅了して、当然のように心を奪い、愛されていると思わせて。
そして捨てるんだ。躊躇いもなく。
そうやって捨てられた彼女たちの気持ちが分かるか?
それでも愛している彼女たちの気持ちが分かるか?
俺はなれない。
彼女たちのように一瞬愛された気持ちにして、捨てられて。
そうなったら俺は死んでしまう。
そんな現実耐えられない。
それなのにあんたはズカズカと俺の心に入り込み乱して平気な顔して出て行くんだ。
そしてその痛みすら幸せだと思わす、ひどい人だ。
気がつくと俺はその場から逃げ出していた。




コンコンと控えめなノックが聞こえて顔を上げる。
気がつけば深夜になっていた。
目が痛い。なんだか半分ぐらいあいていない気がする。
はいっと何も考えずに開けると、一番会いたくなかった人が立っていた。
「あ、えっと・・・。すみません、先生来ないから心配になって。式、届きました?」
届いたよ、ご立派な綺麗な式だったから開けなくても分かったよ。
「えっと・・・」
なにも答えない俺に戸惑ったようにまいったなぁと頭を掻いた。
暗くて良かった。薄い月明かりでは俺の顔は見れない。こんな、いかにも泣いてましたなんて顔見られたくなかった。
「何か、ありましたか?」
ないよ。
何にもない。
「・・・・・・えっと」
こんな所まで来て、そっちこそ何の用だよ。
チョコレートもらいにでもきたのか?
そうやって照れながらあげる俺をみて笑うのか。
なに勘違いしているんだよって。
馬鹿にするな。
「馬鹿にするな」
思わず口に出していた。
「馬鹿にするな」
馬鹿にするな馬鹿にするな馬鹿にするな。
「先生?どうしたの?」
「もう俺をからかうのは止めてくれ」
「からかってなんかない。先生どうしたの?」
心配そうにのぞき込む顔が月の光でボンヤリと浮かび上がる。その顔に嘘はない。
嘘はないが、本当もない。
この人の関心は風のようにわずかで掴めず過ぎ去って行くだけだ。
「もう、止めてください」
弱々しく呟くと力が入らなくなり、しゃがんだ。
何も聞きたくない。
何も信じたくない。
「・・・・・・よく、分からないけど」
ぽつりと呟く声に何の感情もなかった。
「オレ、嫌われちゃったみたいだね」
なんでかなぁと天を仰いだ。
「馬鹿にしてなんかない。からかってなんかない。オレ今日どれだけ楽しみにしていたか分かる?ずっと待ってた。先生がでてくるのずっと待ってた。馬鹿みたいに門の前でずっと」
ずっとずっと。
寒いのに。鼻の頭真っ赤で。
あれから何時間たっていると思ってるんだよ。
来ないならアカデミーの中に入って聞けばいいじゃないか。
それとも信じたくなかったのか。
俺が逃げたと思いたくなかったのか。
「気持ち悪いなら、そう言ってくれれば良かったのに」
吐き出す声は冷たく。
それでいて、美しい。
夕方に見た、彼となんの変わりもない。
気持ち悪いのは、俺だよ。
俺のこのどす黒い気持ちだよ。
「逃げるなら、本気で逃げてよ。平和そうにこんな所いないで。こんな近くにいるなら捕まえて、絶対逃がさない」
バッと腕を捕まれた。
服越しでもわかるぐらい手が冷たい。
まるで彼の心のようだった。
そのまま腕を強く引っ張られ、抱き寄せられた。
冷たいのに、彼から聞こえる鼓動は早くて燃えそうだった。
「逃げてよ、早く。捕まえちゃうよ?」
逃げたいのは、俺の忌々しい惨めで哀れな気持ちからだけだ。
何も感じなければよかったのに。
ただ単純に親しい友人として付き合うだけならよかったのに。
どうしてそれができないのだろう。
どうして俺はあんたの前だとこんなに醜い感情しか出てこないのだろう。
どろどろと粘りつき、甘美な甘さで魅了するこの感情はまるでチョコレートだ。
「…ごめんなさい」
何にでもなく謝った。
だがピクッと体が動き、ゆっくりと離れていった。
ぼんやりとそれをみていると彼も無表情にこちらをぼんやりと見ていた。
「分かった」
どこか納得したように頷いた。
何が分かったのだろうか。
「先生がそのつもりなら、オレもそうする」
ことばが足りない。彼の言いたいことが全然伝わらない。
そのまま背を向けゆっくりと階段を降りていく。
それをただじっと見つめていた。





よくよく思い起こせばあれから彼の態度は変わった気がする。何がどう分かったのかは知らないが、紳士的な態度が一遍して横暴なものへと変化した。いや被っていた猫の皮を思いっきり剥いだと言ってもいい。
そっかぁ、あれから一年たったんだなぁとなんとなく実感した。
バレンタインデーはすっかり里に定着し、もはや意味の知らない人などいないのだろう。
そしてなぜか俺は来る人来る人全員にチョコレートを渡している。
なぜだろう。
チョコレート会社の陰謀かはたまた火影様の陰謀か知らないが、受付で男からチョコレートなんぞもらっても嬉しくはないだろうに。
「イルカにチョコなんかもらってもなぁ」
と何度言われただろう。
俺だってやだよ。
小さな赤い小箱はハート型で、義理ならもっと義理らしいものにすればいいのに、悪趣味だ。冷やかしなのか知らないが今日は特に人が多い。と言うか俺の列多くないか?どこに並んでも同じ物しかもらえないのに、真ん中である俺の列は常に多かった。
それでもただでチョコをもらえるからかなんとなく皆嬉しそうでほっとする。俺も余れば全部もらえるらしいのでそう悪い日ではないだろう。
ピークが過ぎたころ、彼が入って来て、当然のように俺の列に並んだ。
「ん」
長いきれいな手がまっすぐ突き出される。
表情もなんとなく硬くなっている。
「…はぁ」
やる気のあることはいいことだ。
今日の任務表を渡すと「ちがう!」と投げ返された。いや、違わないし。名前間違ってないだろ。
「チョコだよ、チョコ。あんた愛想ふりまいてみんなに配っているやつ」
「はぁ」
何ムキになっているだろうと不思議に思いながら紙袋を渡す。
「どうぞ」
そう渡すと小さく嬉しそうに安心したように笑った。
嫌みのないふんわりとしたやわらかい笑みだった。
その笑顔に見とれている自分はなんだかなぁと思いつつ任務表を渡すと素直に受け取った。
じっと紙袋を見て動かない。
見たきゃ見ればいいのに。
というか長く居てもらうと邪魔なんだけどなぁ。
「あの、どけてもらえると嬉しいんですけど」
「……」
俺の言葉を無視して、ガバっと勢いよく紙袋をあけた。
「……鰈?」
「鰈の一夜干しです」
「……」
「おつカレイ、みたいな」
なんだよ、その心底がっかりした顔は。
その鰈うまいのに知らないのか?
「……ひどい」
「なんですか」
「こんなひどい物もらったの、去年のバレンタインデー以来だわ」
「……」
はぁぁぁぁと重い溜息をつきながらトボトボと出て行った。
なんだよ、頑張って考えたのになぁ。
あんた甘いもの嫌いって豪語してたからいろいろ考えてやったのに、高かったのだから気に入らないなら返せ。
「なぁ、イルカ」
「んー」
「お前、今のって、お前個人の…?」
「そうだけど?」
なんだよ、お前も鰈のすばらしさ知らないのか?一夜干しただけであんなに旨みがでるんだぞ。これってすっげーことじゃないか?
「な、なんでそんなもんあげるんだよ」
「なんでって、…別に?いつも奢ってもらっているから?」
言ってみて、変かなと自問自答してみる。
「なんで今日なんだよ。絶対はたけ上忍勘違いするぞ。いや、今の渡し方は別な意味で誤解している気がする。絶対あの人、里の皆に鰈配っているんだと思われた」
「だってあの人甘いもの嫌いだからな。あぁ、でも里から支給されたチョコレートほしかったかな」
それは悪いことをした。今度会ったら渡しておこう。
そう思っていたら、顔を真っ赤にした彼が列をすっ飛ばして俺の前でさっき渡した紙袋を突きつけた。
「なんでオレのだけ鰈なのっ!!オレだってチョコをもらう権利があるデショ!?あんたが用意してくれないのは分かっていたけど、里から支給品でもあんたから手渡しでもらえるのどれだけ楽しみにしてたか、分からないの!?」
先生の悪魔っ!冷たすぎっ!とわけのわからないことを叫んでいる。
いや、用意したし。
なんだか面倒くさいし、意味不明だし、こんなくだらないことに仕事は中断されるし、段々とイライラしてきた。
「っ、嫌なら返せ!そんなにほしかったらやるよ」
思わず公衆の面前で叫びながら紙袋を奪い、赤い小さな箱を顔面めがけてブン投げた。
勿論綺麗にかわされたが。
「せっかく、旨いの選んでやったのに」
チョコレートなんてあげて燃やされたら堪らないからな。もっとも俺の気遣いは里から支給される小さなチョコレートに負けてしまったが。もう絶対やらんっ。これは俺の晩飯にしてやる。
「えっ、本当に先生が選んでくれたの?オレ、だけに?」
「今からこれは俺の晩飯です」
「っ、ウソ!?か、返して。それはオレの…っ」
さっきとはうってかわってあわてた様子で紙袋を掴もうとするが、その手を叩いた。
「なんですか。一度返した物はもう俺のものです」
「先生がくれるとは思ってなかったから…っ。ごめんなさい。オレそれほしいです」
へにゃっと眉を下げて哀願する姿は悲痛げで。
うっと言葉に詰まっていると、隣の同僚が小声で耳打ちした。
「おい、イルカ。ちゃっちゃと渡しておけよ。後ろ詰まってきてるし」
「お、おう…」
促されてそのまま渡すと嬉しそうに笑い、ぎゅっと大事そうに紙袋を抱きしめた。
その美しい姿に静かな室内で誰ともなく、ほぅとため息をついた。
「先生、ありがと。一ヵ月後にお返しすればいいんデショ?お返しは三倍なんだってね。オレのは三倍どころじゃないヨ」
万遍の笑みで聞いてきた。
「え?」
その、いつも見せる意地の悪い笑みとは違い、綺麗な笑顔なのだが、なぜか背筋がゾッとした。
「先生の気持ち、嬉しかった。お返し楽しみにしててネ」
「いや、いらな」
言い終わる前に消えてしまった。
いやまて。
俺の気持ちってなんだ。
なんかとてつもなく嫌な予感しかしないんだが。
隣の同僚を見ても、並んでいる奴らを見ても、みんな一斉に視線を逸らした。
なんだよ、その反応。
お返しってそんなに恐ろしいのか。
まさか鰈が3匹になって返ってくるのではなく、鯨になって返ってくるとでもいうのか。
……それはそれでいいじゃないのか。
鯨なんてさばいたことないけど。

甘く、ほろ苦いチョコレート。
口どけは柔らかで、優しく溶けていく。
まるで、恋のようだ。
ただひたすら甘い、片思いのようだ。
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