「イルカ悪いんだが、潜入捜査に行ってもらえないか」
直々に五代目から伝えられたのは潜入捜査の依頼だった。
教員になる前はわりと多く受けていた潜入捜査。変装や術などするが、俺は素でも平凡な顔だからどこにでもいる雰囲気で溶け込みやすいとよくわりふられた。おまけに人と接するのが上手く得意としていた。
最近は教員になったためかなくなり、久々の任務に興奮と緊張が駆け巡る。しかも五代目から直々だ。おそらく難易度が高いのだろう。
「潜入先は遊郭だ。悪いがお前には女体化してもらう」
「は、・・・はい?」
思ってもみない依頼に思わず聞き返してしまった。
「あの、それなら女性の方が・・・」
わざわざ男に頼むより余程リスクが少ない。
「人手が足らんのだよ」
はぁーと重いため息をつかれてハッとなる。今は五代目が就任してから日がたっておらず、彼女の存在と他里へ知らしめ、威厳を保つためにフル稼働で任務を入れていた。
「し、失礼しました」
「いや、いいよ。女体化なんて屈辱だからねぇ」
「いえ、そんなことは・・・」
否定したものの、実は女体化して潜伏捜査するのは初めてだった。僅かばかり緊張が走った。
「・・・・・・ここだけの話な、お前の前に潜伏していたくノ一が切り殺されていてな。もしかしたら裏切り者がいるかもしれない」
「まさか・・・」
「確証はない。だからこそ、お前に行ってもらう。・・・どうやら潜伏捜査に関しては秘蔵っ子みたいだな」
「いえ、そんな・・・」
買いかぶりすぎだ。確かに今まで大きなミスは無かったが、それでも華やかな功績もない。最もそういう表立った任務ではないが。
だが任務もいつの間にか段々と数を減らされここ数年では依頼されることはなくなった。向いているとは思ったが、この里では替えのきく平凡な成績だったのだろう。
そう言うと五代目は不思議そうに「ふぅん?」と言ったが、俺はニコリと笑った。
「全力を尽くします」
「・・・まぁいいさ。里の者にもお前の存在は知らせない。仲間だと思っても油断するな。いいか、お前の任務は遊女として潜入し、今回の任務に当たっている里の者達の様子を探れ。少しでも怪しい動きをしていたらすぐに知らせな。他の者達にはお前のことは、協力してくれる本業の者と伝えてあるからな」
「はい」
「それから」
ジッとこちらを真剣な眼差しで見た。

「イルカ、お前恋人はいるかい?」

その言葉に、一瞬息が止まったが、すぐに冷静さを取り戻した。全身全霊で何でもないような表情を貼り付ける。
「・・・いいえ」
震えなかったのは、小さなプライドだ。
「そうかい。それならいいんだよ。いたらね、色々厄介だったからさ」
潜伏捜査は潜り込めばいいだけではない。特に今回のように仲間の動きを探る際、決して誰にもバレてはいけない。
その中には家族や友人、そして恋人も含まれるのだ。
「明日私のところに来な。術を固定化して、チャクラを分からないようにするからね」
「了解しました」
「今回は大掛かりな任務でね、もう何年も探っているんだ。あと少しで掴めそうなんだ。よろしく頼むよ」
大掛かりな任務。それに抜擢された、しかも五代目から直接だ。もう何年も内勤ばかりしてきた俺にとってはかつてないほど期待されている。当然責務は重くのしかかるが、やり遂げてみたいという気持ちの方が遥かに上だ。
ここで、活躍できたら。
そしたら、見直してくれるかもしれない。
俺だって、やれば出来るヤツだって。

誰でもない、あの人に・・・・・・。

コンコンと小さなノックが聞こえた。
「入りな」
「失礼します」
のっそりと入ってきた人物を見て、ギョッとしてしまった。
今まさに考えていた彼、はたけカカシだった。
彼はこちらを一瞥するとすぐに五代目に向き合った。
「報告を」
短い言葉だったが言いたいことは分かった。
報告をするので、出ていけと。
俺は小さく頭を下げて、外に出た。
出た瞬間ドッと汗が出て、僅かに手が震えていた。
それは先ほどの興奮などではない。
冷たい目。
まるで他人のような、取るに足らない人と言っているかのような、感情を写してない目。

俺達は恋人なのに。
少なくとも俺は、そう思っているのに。


彼は外で会うと冷たい目で、まるで他人のように扱う。



◇◇◇



玄関のドアが開くような音がして、ようやく彼が帰宅したらしい。出迎えるため玄関へ行くと、彼はサンダルを脱いでいた。
「こ、こんばんわ・・・」
震えないよう気をつけたのに、つっかかってしまった。
ギュッと唇を噛み締めた。
彼はちらりとこちらを見ると、小さく息を吐いた。
「わざわざ来ないでよ・・・」
小さく漏れた声は彼の声か、俺の幻聴か分からない。ただ彼の表情は疲れきっており、頭をガシガシと掻いた。
「どーも」
ニコリともせずポツリと呟いたそのセリフにそれでもホッとする。
いつもと変わらないセリフだった。
「あのっ、夕飯もう少しでできます。ふ、風呂は沸いてますが」
「じゃあ風呂入ってくる」
そう言って俺の横を素通りした。
フワッと香ったそれにじわっと涙が浮かんだ。
その香りは知っている。
甘くて優しくて脳を痺れさす、香り。
まるで恋を連想させるかのような、その香りは経験はないが、誰でも知っていた。

それは遊女がつけている、香の香りだった。

目を閉じて涙が流れないようにする。
どうしてそれが、彼から香るのか。そんな簡単な疑問は答えに直結する。
そんなの決まっている。そばにいたからだ。匂いがうつるぐらい、近くに。
遊女の近くに?
何のため?
そんなこと、分かっているだろ。
誰かが嘲笑った。
決まってる。

抱いてきたからに、決まっている。

泣いてはいけない。
耳を塞ぎ、自身を守るように小さくなる。
泣いていることが、彼にバレたら。
きっと面倒くさいと捨てられてしまう。
十日ぶりに来てくれたのに、楽しい時間を過ごしたい。
考えてはいけないと念じながら、夕飯の続きを作る。
それでも。
例え遊郭に行ったとしても、来てくれた。
里に帰ってきて、もしかしたらと夕飯を二人分作っていてよかった。彼の好きな魚が買えてよかった。
風呂から音がする。
風呂が、きっとあの匂いを消してくれる。

そうすれば、何もかも、忘れたふりをすればいい。



「ん、美味しい」
「本当ですか。良かった・・・」
風呂から上がると、シャンプーの匂いと彼の機嫌の良さそうな顔にようやく生きた心地がした。
並んで食べる彼はニコニコと笑い食べてくれた。
「い、忙しそうですね」
「ん、そーね。ちょっとデカい仕事でねぇ。まぁでもこれでやっと終わりだから」
終わりだから。
その言葉は。
例え他の意味でも聞きたくなくてブルッと震えた。
俯き、ギュッと目をつぶった。
(大丈夫。違う、違う・・・っ)
「それよりさ」
彼の言葉は続く。
「今日五代目と何話してたの?」
その言葉に目を見開いた。
小さく深呼吸をし、顔を上げた。
彼を真っ直ぐ見て、ニッコリと笑う。
「五代目がまた書類を溜めてて。シズネさんからヘルプがきたんですよ」
「また?イルカも大変だーね」
彼もクスクスと笑った。
「ええ。それなのに五代目は素知らぬ顔で」
「へぇ」
「一緒にカジノでも行くかって笑ってるんですよ」
「ダメだよ」
彼は即答した。
「カジノなんて、ダメ」
それは母親が子どもを叱るようではなく。
まるで嫉妬する恋人のようで。
嬉しい、なんて思ってしまった。
彼の意図はただ賭博をするなと言いたいだけかもしれないのに。お気楽なヤツだ。
「行きませんよ。俺運ないし」
「商店街のクジ引きも当たらないしね」
「うっ、・・・いいんですよ。ティッシュ助かりますし」
「そーね」
何とか和やかな雰囲気になり、内心ホッとした。任務のことはバレてはいけない。
例えそれが、恋人だとしても。
自分は真面目で融通がきかず、嘘がつけないタイプだとよく言われる。
嘘ではないが、本当でもない。
普段はそうだ。だが、任務となるとそうではない。真顔で嘘をつける。そんなこと最低ラインだが、特に俺のような忍はそれでもどこかに人の隙を作る。どこかで、コイツは嘘をつけないだろうと思わせられる。そこが強みでもあった。
彼の様子を見て少しも疑ってない確信する。そういう目だけは養ってきた。

「イルカは潜伏捜査にむいておるのぅ」
昔、三代目はどこか誇らしげに言ってくれた。
「教員の次にの」
そうやって褒めてくれることが俺は何よりの誇りで喜びだった。得意なことを二つも褒めてくれる。
教員より潜伏捜査の方が重宝し、また数も少ないため当時俺が抜けるのは痛手だっただろう。なのに俺の希望を優先させてくれた。足りなくなったら頼むなんて言ったくせに滅多に呼んではくれなかった。
(五代目から頼まれたんだ・・・)
大掛かりな任務の一員に、しかも潜伏捜査では一番難しい里の者を探る任務につかせてくれた。
期待に応えないと。
そのためには恋人に嘘をつくなど罪悪感すらなかった。
(それに)
それに、彼も思ってくれるかもしれない。
見直してくれるかもしれない。
恋人として、見劣りしないと思ってくれるかもしれない。
そしたら。
そしたら、外でも、和やかに話しかけてくれるかもしれない。
馬鹿な考えだ。俺の任務は誰にもバレてはいけないものなのに。終わっても誰にも分かりはしないのに。



食器を洗い終わると、彼もおもむろに立ち上がった。
俺が近くによるよりも前に玄関へ向かった。
「あ、の・・・」
「メシ、美味かったよ。ありがと」
「はい、いえ、あの・・・っ」
思い切って腕の裾を掴んだ。
なんて弱々しい。
腕を掴めばいいのに。
言い淀んでないで、まだ帰らないでと言えばいいのに。
まるで言葉が出ない子どものように、喋りもしないで、それでも弱々しく自分を主張している。
大の大人がだ。
男で、教員なのに。
彼の前では、弱くて何も言えない、子どもだ。
弱くて、何も出来ない。
「あ、の・・・」
帰らないでほしい。もっと、傍にいてほしい。泊まったっていい。明日から任務だが、それでも少しでも傍にいたい。
久しぶりに会ったのに。
次いつ出会えるか分からないのに。

もう来ないかもしれないのに。

だが、掴んだ裾は無情にもそっと離れていった。
やんわりと、だけど確実に。
「ごめん、用事があるから」
「あ、いえ、すみません・・・」
「イルカも明日から五代目の所デショ?」
「はい・・・」
それはまるで俺のことを気を使っているかのようだったが、なんだかとても取ってつけたような言い訳のような言葉だった。
「じゃあ、またね」
そう言って部屋から出て行った。
バタンと大きな音を立てて扉は締まり、その後は静寂に包まれる。
きっと振り返りもせずに、彼は行ったであろう。
未練などどこにもないように。
いつもそうだ。
付き合ってもうすぐ二ヶ月経つが、彼とは俺の部屋で時間が合えば夕飯を食べるだけ。キスもしない。抱きしめもしない。それどころか外で会わない。目も合わさない。他人から見れば知り合いとすら名づけてくれないだろう。
恋人とはなんだろう?
少なくともこの状況を恋人同士とは呼べないだろう。

告白したのは俺だ。玉砕覚悟だった。なのに彼は受け入れてくれた。


たった一つ、条件付きで。


『誰にもオレと付き合っていることを悟らせないで』



スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

コメントフォーム

以下のフォームからコメントを投稿してください