翌日、暫く受付には入れなくなるため軽く引き継ぎをする。よくあることなので特に周りからは何も言われず、表向きは五代目の手伝いとなっているためお前も大変だなと同情された。
任務表を見ていると、彼の名前が目に入った。
『三日間待機』
ポツリと黒い雫が波紋を広げた。
昨夜は言った用事とは任務ではない。プライベートだったのだ。
俺よりも大事な、用事。
彼の中の優先順位では俺はきっと高くないのだろう。
恋人、なのに。
やはり告白を了承したのはなにか事情があって、彼の意志とは関係なく頷いてくれたのだろうか。
どんな理由か想像も出来ないが、でもきっとそうだ。
どんなに恋愛面で奥手で経験不足だといっても、こんなの付き合っているうちには入らないだろう。
それでもいいと、思っていたのに。
「ん?はたけ上忍か?」
同僚に言われてハッとする。
「あ、あぁ。はたけ上忍も休みちゃんとあるんだなぁと思って」
「どうも休みがほしいって五代目に直談判したらしいぜ。あのぐらいのレベルになるとそういうことできるらしいなぁ」
羨ましい、ど笑った。俺も合わせるように笑ったが、胸はズキズキと痛む。
直談判してまで、得た休暇。それを俺ではなく何かにつかっているんだ。
考えれば考えるほど虚しくなる。
「あ、はたけ上忍の話?」
別の同僚も話しかけてきた。
「おー。なんか最近休み多いよな」
「俺、知ってるぜ」
ニヤリとどこか自慢げに笑う同僚に漠然と嫌な予感がした。
これ以上聞きたくない。きっと良い話なんてないのだから。
任務前に動揺したくなくて、そそくさと受付を去ろうとする。
「なんだよ、イルカ。話は最後まで聞けよ」
「い、忙しいんだよ」
「五代目の用事なんてどうせ書物整理だろ。まぁ聞けよ、今この情報知らないとモグリだぜ」
「俺は・・・っ」
「あの人今夢中の遊女がいるらしいって専ら噂らしいぜ」
ガリッと心臓を抉られた。
昨夜の甘い匂いが、まだ鼻の中に残っているかのように纏わり付く。
「あぁ知ってるぞ。最近火の国から上玉の別嬪さんが数名来たみたいで利用客は増えてるらしい」
「いいよなぁー。俺も行きたい」
「ハハハ、無理無理。来たのは太夫クラスらしいぞ。お前の年収ぶち込んでも一晩ありつけるかどうかだ」
「ちぇ。しょうがねーから女房でも抱くか」
「それが一番安上がりで平和だ」
談笑している二人からそっと離れた。
何も聞きたくない。
何も。
その後五代目に会いに行った。
直々に術をかけてくれ、体はみるみる小さくなっていった。
「上手くいったね」
鏡を差し出され見ると華奢で儚げな女がいた。
「ちょっと平凡すぎませんか?」
遊女にしては、華がない。まるで俺のようにどこにでもいるような顔だった。
「あんまり可愛くなったら、お前身請けされてしまうからな」
「それは、・・・失礼しました」
確かにそれは困る。
苦い顔をして頭を下げると可笑しそうに笑われた。
「昔任務で惚れられたらしいな」
「・・・・・・やめてください」
昔のことを思い出して思わず苦笑した。今はこんな風に受け止められるが当時は大変だった。まさに修羅場だった。
「私も優秀な忍を失いたくはないからねぇ。気をつけることだね」
「はぁ・・・」
曖昧に頷く。当時だって意図的に好意を寄せられたわけではない。会って間もないのに同性から告白されるなんて。しかも女体化などしておらず、キズを隠していただけの状態だったのに。
(あの人は・・・、本当趣味を疑う)
だけど誰しも好みがあるのだ。それに当てはまらないよう気をつけないと。
もう二度とあんなことは御免だ。
「気をつけることだね。『ナギ』」
今日から暫く二重の生活となる。
『イルカ』と『ナギ』
俺が急に任務にたつとなると怪しむ人がいるかもしれないため、交互に、時には昼はアカデミーで、夜は潜伏捜査になるかもしれない。
だけどやり通してみせる。
俺もできるのだと、証明したい。
「はい」
響いた声は、か細く、まるで音色のようだった。
◇◇◇
花街にプライベートで行くことはここ数年なかった。昔は先輩方に社会科見学だとやや強引に連れてこられていたが、もうそんなに世話してくれる人もいないし、なんとなくここの雰囲気は俺とは合っていないので疎遠になっていた。
しかし任務で不寝番として働いたことはあった。そこで大まかな時間の流れや客としては知りえなかった裏側を見ていたので、どうやらその知識が役に立った。
この廓の主人であり協力者のツバキから一通り聞いた生活の流れはよく知るもので、仕事内容も五代目がよくしてくれたのか客は取らなくてもいい、好きなように動けと言われた。
「但し事情を知るのはここでは私だかだからねぇ、私の目が行き届かないところは自分で何とかしとくれ」
「感謝します」
「それしても、アンタ中々良いねぇ。もし忍辞めたくなったらいくらでも来な。雇ってあげるよ」
「ハハハ・・・」
その冗談は笑えないな、と思いながらあてがわれた部屋へと行った。
八畳の狭い部屋には布団と、赤い着物と化粧品が置いてあった。化粧品の箱を開けると、最近嗅いだ匂いがした。
昨日、彼から漂ってきた香りは確かにこれだった。
心に鉛がへばりついてくる。重くて苦しくて、悔しい。
こんなところで彼の激情を吐き出さなくても。
俺に言ってくれれば、何だってするのに。彼が望むなら女の姿になるし、どんなことでも耐えれるのに。
どうして金を払ってまでしなければならないのか。
玄人は浮気ではないと、よく聞く。
素人相手にされるよりはずっといいと。
俺には理解できない。
素人なら、好きの度合いが薄れていったのだろうと理解できる。
だけど体だけの関係を外で求めるとはどういうことだろう。忍なら、姿を変えられる。多少のことにも耐えられる肉体と精神力がある。それ以上のものをココにはあるのか?そうだとすれば、恋愛とはなんて薄っぺらくて、意味のないものだろう。
『貴方が好きです』
かつて言われた言葉を思い出した。
生きてきた中であんなに情熱に口説かれたのは初めてだった。
『貴方が、好きです。貴方がいるなら他には何もいりません。貴方がいないのなら』
彼、は真剣な眼差しで、だけど声は震えて緊張を含み、表情は縋るようだった。
『私は、生きている意味を失います』
俺はその時、なんて応えたのだろう。
彼の想いに、なんと応えられたのだろう・・・。
張見世で座りながらぼぉっと外を見た。
そこから見える世界は柵の中に入れられた動物園の動物のようだった。じろじろと品定めするかのように眺めて来る男たちの視線にうんざりしながら、今回の任務について考えていた。
今回の表向きの任務は、遊女が無差別に殺されている、その犯人を見つけることだ。
頻度も殺し方も場所も状況もバラバラな今回の事件に、怨恨ではなく無差別なところがタチが悪い。
予防もできず、ただまるで恐怖を植え付けるかのような存在に遊郭を仕切る者たちは殆困り果ていた。
最も経営者たちは自分の遊郭に用心棒をつけて警備していた。木の葉の里に依頼してきたのは殺された遊女を身請けしようとしていた大名からだった。
数日後には、妻として迎えるはずだった女が無惨にも殺された。
怒り狂った大名は必ず生きて捕らえるようにと依頼があった。
生きて捕らえる。
その後のことは、なんとなく想像ができる。大名は今でも独身だ。それほどまでに入れあげていたのだろう。
それが、三年前の話だ。
何故そんなにも時間がかかったのかというと、どうやら例の大名が入れあげた遊女が殺されて一年間は全く事件が起らなかったらしい。
さすがに経営者たちが独自に捜査しても見つからないほどの相手だ。手がかりもなく、もしや死んだが改心したかと思っていた矢先、二年前また遊女が死んだ。
それから期間は一週間おきから数ヶ月おきなど様々だった。里も幾人もの忍を送り込んだらしい。こんなにも正体がつかめないのだ。おそらく複数、若しくは集団なのだろう。
目的も意図も読めない。ただの快楽無差別殺人かもしれないが、先日ある遊女が殺された。
潜伏捜査をしていた、木の葉の里のくノ一である楠木中忍だ。彼女は中忍だが、近々特別上忍試験を受けると言われていた優秀な忍だったのに。
抵抗も殆どなく殺された。
数ある遊女の中で彼女が選ばれたのは偶然ではあるまい。それを裏付けるように必ず一夜に一人だった殺しはその日だけ二人であり、彼女だけはまるで口封じのように乱雑に殺された。
そして忍を殺せるぐらいの実力者がいるのだ。おそらく上忍クラスの。
裏切り者がいる。
きっとそれに気がついたか何かを見つけた楠木中忍は殺されたのだ。
そう、五代目は睨んだらしい。
「ナギ。ナギ!」
呼ばれてハッとする。そうだ、今回は名前が異なっていた。
「はい」
「指名だよ」
言われて見ると木の葉の支給服を着ている男が立っていた。俺と目が合うと、小さく口を動かした。
それは、ここに表立って警備している忍からの合図だった。
「ナギです。よろしくお願いします」
「あぁ」
連れ立って部屋に向かった。
上座に座らせると正面に座った。
「せっかく遊郭にきたのに、甘い雰囲気もないなぁ」
そんな軽口を言われて、クスッと笑った。
「手でも握りましょうか?」
そう言うとゲラゲラ笑われた。
「アンタ、上手いね。売れっ子だろ?」
「まさか。下の方ですよ。顔が平凡で指名なんか殆どなくてこういうお仕事のお手伝いをしてなんとか食べていけてます」
「そうかい?意外だなぁ」
嬉しそうに笑いながら、そっと手を握られた。
驚き見ると、男は悪戯っぽく笑った。
「手を握ってくれるのだろ?」
男らしい大きな手のひらは温かく、女体化した細い手のひらがスッポリと収まる。それをどこか他人事のように眺めた。
「美しい手だ」
そうだろう。術で作ったモノだから。
本当は目の前の男と同じごつくて太くて傷のある手だ。
「このあと抱いてもいいか?キチンと代金は払う」
何を言われたか分からずキョトンとした。
「……色をつけてもいい」
そう言われて、かぁぁっと体温が上がったのが分かった。
まさか誘われると思わなかった。だって大した容姿でもないし、任務中だし。
だが、今の俺は潜伏捜査している同胞ではなく、手伝いの遊女だ。ついでに抱いてもおかしくない。そもそもそれを生業としている女なのだ。任務中といってもそのぐらい許される。
許されるが、俺は無理だ。
「あっ、の……っ」
上擦る声をギュッと抑えた。
落ち着け。俺は今遊女なのだから。こんなことぐらいで同様してどうする。
小さく深呼吸をし、彼を見た。
「ごめんなさい。いつ報告があるか分からないので客はとってないんです」
ニッコリと笑った。
「少しだけでもダメか?」
尚も食い下がる男に、掴まれていない手でそっと包んだ。そのままゆっくりと撫でる。
「このお仕事が終ったら、是非」
そう言いながら見上げるようにチラリと見た。
上目遣いになってればいいが。
小さく息を呑む音がした気がした。彼は空いている手を更に俺の手のひらの上に重ねた。両手を包み込むようにぎゅっと掴んだ。
「約束だ」
ニコリと微笑む顔はどこか爽やかだった。
頷くと、スッと手を引き俺と向き合った。
「報告を」
静かで凛とした声が響いた。
「先日の遊女が二人殺された件だが、手口から同じ犯人だろう。ただ楠木中忍はまるで急に殺さなければならないように殺された。不幸中の幸いというか、彼女の殺しだけ急遽で焦ったのか手がかりを残していった」
「え…」
「毛髪だ。彼女の手のひらに血とともにからまっていた。とても珍しい色だったから、いい証拠になると思う」
珍しい色の毛髪。
何故か頭を後頭部から殴られたような衝撃がした。
それは、俺のよく知っている人も同じ条件だった。
まさか、と笑い飛ばしたくなる。ありえない、珍しい髪色の人など沢山いる。まだ銀とも言われてないのに。
なのに心臓は全身に鳴り響き、まるで警戒音のようだった。
「そ、れは」
何色なんですか。
そう言いかけて止めた。詮索は禁物だ。俺には裏切り者を見つける任務もある。変に探って警戒されては困る。
気になるなら、自分で調べればいい。
「毛髪は俺が預かっている。五代目しか見せない。明後日には五代目に会うつもりだ。そう伝えてくれ」
「承知しました」
それだけ言うと立ち上がった。どうやら報告は以上らしい。俺も後について部屋を出た。
店の外まで見送ると、フッと笑った。
「また来る」
「はい」
さらっと自然な様子で髪に触れた。長く黒い髪を恭しく触れると口付けた。
様になっている様子に暫し見とれた。
「約束、楽しみにしている」
名残惜しそうに手を離すとそのまま夜の闇に溶けていった。
それを静かに見送り、店の中に入った。
私情が見え隠れしている。任務中なのに。
こんなことではいけない。潜伏捜査は一瞬の気の迷いが命取りだ。私情を挟むのなどご法度だ。
見返してやるんだろ、彼を。
何をボヤっとしているのだ。
パンッと顔を叩いた。気合を入れないと。俺はここの遊女「ナギ」だ。
店に戻り店先に座った。
周りはまばらでそこそこ繁盛しているのだろう。気だるげに煙管を加える遊女たちは確かに妖艶で美しかった。
だけど少しも魅力的に感じない俺は、男として終わってしまったのかもしれない。
どんなに美しくても、彼に勝る人はいないのだから。
窓の外を見ていると、キラッと銀色の光が見えた。まさかと思い外を見るが、人が多すぎて分からなかった。
まさか、彼だろうか。
「あの人今夢中の遊女がいるらしいって専ら噂らしいぜ」
今朝の噂話が頭によぎる。
私情を挟まないと今誓ったばかりなのに。
それでも冷や汗は溢れ、動悸がした。
彼がこの街に出入りしてることなんて、知っていたのに。今更何を動揺しているのか。
気持ちを落ち着かせるためにギュッと目をつぶった。
大丈夫。見間違いだ。
その時、ワッと店内が湧いた。
「だんなぁ」
その場にいた殆どの遊女は我先にと軒先に出た。どうやら上客が来たらしい。それにしてもこんなに人気とはどこかの大名か、それとも余程の美男か。
ふと視線を上げると、女たちに囲まれてにこやかに対応する彼が立っていた。
任務表を見ていると、彼の名前が目に入った。
『三日間待機』
ポツリと黒い雫が波紋を広げた。
昨夜は言った用事とは任務ではない。プライベートだったのだ。
俺よりも大事な、用事。
彼の中の優先順位では俺はきっと高くないのだろう。
恋人、なのに。
やはり告白を了承したのはなにか事情があって、彼の意志とは関係なく頷いてくれたのだろうか。
どんな理由か想像も出来ないが、でもきっとそうだ。
どんなに恋愛面で奥手で経験不足だといっても、こんなの付き合っているうちには入らないだろう。
それでもいいと、思っていたのに。
「ん?はたけ上忍か?」
同僚に言われてハッとする。
「あ、あぁ。はたけ上忍も休みちゃんとあるんだなぁと思って」
「どうも休みがほしいって五代目に直談判したらしいぜ。あのぐらいのレベルになるとそういうことできるらしいなぁ」
羨ましい、ど笑った。俺も合わせるように笑ったが、胸はズキズキと痛む。
直談判してまで、得た休暇。それを俺ではなく何かにつかっているんだ。
考えれば考えるほど虚しくなる。
「あ、はたけ上忍の話?」
別の同僚も話しかけてきた。
「おー。なんか最近休み多いよな」
「俺、知ってるぜ」
ニヤリとどこか自慢げに笑う同僚に漠然と嫌な予感がした。
これ以上聞きたくない。きっと良い話なんてないのだから。
任務前に動揺したくなくて、そそくさと受付を去ろうとする。
「なんだよ、イルカ。話は最後まで聞けよ」
「い、忙しいんだよ」
「五代目の用事なんてどうせ書物整理だろ。まぁ聞けよ、今この情報知らないとモグリだぜ」
「俺は・・・っ」
「あの人今夢中の遊女がいるらしいって専ら噂らしいぜ」
ガリッと心臓を抉られた。
昨夜の甘い匂いが、まだ鼻の中に残っているかのように纏わり付く。
「あぁ知ってるぞ。最近火の国から上玉の別嬪さんが数名来たみたいで利用客は増えてるらしい」
「いいよなぁー。俺も行きたい」
「ハハハ、無理無理。来たのは太夫クラスらしいぞ。お前の年収ぶち込んでも一晩ありつけるかどうかだ」
「ちぇ。しょうがねーから女房でも抱くか」
「それが一番安上がりで平和だ」
談笑している二人からそっと離れた。
何も聞きたくない。
何も。
その後五代目に会いに行った。
直々に術をかけてくれ、体はみるみる小さくなっていった。
「上手くいったね」
鏡を差し出され見ると華奢で儚げな女がいた。
「ちょっと平凡すぎませんか?」
遊女にしては、華がない。まるで俺のようにどこにでもいるような顔だった。
「あんまり可愛くなったら、お前身請けされてしまうからな」
「それは、・・・失礼しました」
確かにそれは困る。
苦い顔をして頭を下げると可笑しそうに笑われた。
「昔任務で惚れられたらしいな」
「・・・・・・やめてください」
昔のことを思い出して思わず苦笑した。今はこんな風に受け止められるが当時は大変だった。まさに修羅場だった。
「私も優秀な忍を失いたくはないからねぇ。気をつけることだね」
「はぁ・・・」
曖昧に頷く。当時だって意図的に好意を寄せられたわけではない。会って間もないのに同性から告白されるなんて。しかも女体化などしておらず、キズを隠していただけの状態だったのに。
(あの人は・・・、本当趣味を疑う)
だけど誰しも好みがあるのだ。それに当てはまらないよう気をつけないと。
もう二度とあんなことは御免だ。
「気をつけることだね。『ナギ』」
今日から暫く二重の生活となる。
『イルカ』と『ナギ』
俺が急に任務にたつとなると怪しむ人がいるかもしれないため、交互に、時には昼はアカデミーで、夜は潜伏捜査になるかもしれない。
だけどやり通してみせる。
俺もできるのだと、証明したい。
「はい」
響いた声は、か細く、まるで音色のようだった。
◇◇◇
花街にプライベートで行くことはここ数年なかった。昔は先輩方に社会科見学だとやや強引に連れてこられていたが、もうそんなに世話してくれる人もいないし、なんとなくここの雰囲気は俺とは合っていないので疎遠になっていた。
しかし任務で不寝番として働いたことはあった。そこで大まかな時間の流れや客としては知りえなかった裏側を見ていたので、どうやらその知識が役に立った。
この廓の主人であり協力者のツバキから一通り聞いた生活の流れはよく知るもので、仕事内容も五代目がよくしてくれたのか客は取らなくてもいい、好きなように動けと言われた。
「但し事情を知るのはここでは私だかだからねぇ、私の目が行き届かないところは自分で何とかしとくれ」
「感謝します」
「それしても、アンタ中々良いねぇ。もし忍辞めたくなったらいくらでも来な。雇ってあげるよ」
「ハハハ・・・」
その冗談は笑えないな、と思いながらあてがわれた部屋へと行った。
八畳の狭い部屋には布団と、赤い着物と化粧品が置いてあった。化粧品の箱を開けると、最近嗅いだ匂いがした。
昨日、彼から漂ってきた香りは確かにこれだった。
心に鉛がへばりついてくる。重くて苦しくて、悔しい。
こんなところで彼の激情を吐き出さなくても。
俺に言ってくれれば、何だってするのに。彼が望むなら女の姿になるし、どんなことでも耐えれるのに。
どうして金を払ってまでしなければならないのか。
玄人は浮気ではないと、よく聞く。
素人相手にされるよりはずっといいと。
俺には理解できない。
素人なら、好きの度合いが薄れていったのだろうと理解できる。
だけど体だけの関係を外で求めるとはどういうことだろう。忍なら、姿を変えられる。多少のことにも耐えられる肉体と精神力がある。それ以上のものをココにはあるのか?そうだとすれば、恋愛とはなんて薄っぺらくて、意味のないものだろう。
『貴方が好きです』
かつて言われた言葉を思い出した。
生きてきた中であんなに情熱に口説かれたのは初めてだった。
『貴方が、好きです。貴方がいるなら他には何もいりません。貴方がいないのなら』
彼、は真剣な眼差しで、だけど声は震えて緊張を含み、表情は縋るようだった。
『私は、生きている意味を失います』
俺はその時、なんて応えたのだろう。
彼の想いに、なんと応えられたのだろう・・・。
張見世で座りながらぼぉっと外を見た。
そこから見える世界は柵の中に入れられた動物園の動物のようだった。じろじろと品定めするかのように眺めて来る男たちの視線にうんざりしながら、今回の任務について考えていた。
今回の表向きの任務は、遊女が無差別に殺されている、その犯人を見つけることだ。
頻度も殺し方も場所も状況もバラバラな今回の事件に、怨恨ではなく無差別なところがタチが悪い。
予防もできず、ただまるで恐怖を植え付けるかのような存在に遊郭を仕切る者たちは殆困り果ていた。
最も経営者たちは自分の遊郭に用心棒をつけて警備していた。木の葉の里に依頼してきたのは殺された遊女を身請けしようとしていた大名からだった。
数日後には、妻として迎えるはずだった女が無惨にも殺された。
怒り狂った大名は必ず生きて捕らえるようにと依頼があった。
生きて捕らえる。
その後のことは、なんとなく想像ができる。大名は今でも独身だ。それほどまでに入れあげていたのだろう。
それが、三年前の話だ。
何故そんなにも時間がかかったのかというと、どうやら例の大名が入れあげた遊女が殺されて一年間は全く事件が起らなかったらしい。
さすがに経営者たちが独自に捜査しても見つからないほどの相手だ。手がかりもなく、もしや死んだが改心したかと思っていた矢先、二年前また遊女が死んだ。
それから期間は一週間おきから数ヶ月おきなど様々だった。里も幾人もの忍を送り込んだらしい。こんなにも正体がつかめないのだ。おそらく複数、若しくは集団なのだろう。
目的も意図も読めない。ただの快楽無差別殺人かもしれないが、先日ある遊女が殺された。
潜伏捜査をしていた、木の葉の里のくノ一である楠木中忍だ。彼女は中忍だが、近々特別上忍試験を受けると言われていた優秀な忍だったのに。
抵抗も殆どなく殺された。
数ある遊女の中で彼女が選ばれたのは偶然ではあるまい。それを裏付けるように必ず一夜に一人だった殺しはその日だけ二人であり、彼女だけはまるで口封じのように乱雑に殺された。
そして忍を殺せるぐらいの実力者がいるのだ。おそらく上忍クラスの。
裏切り者がいる。
きっとそれに気がついたか何かを見つけた楠木中忍は殺されたのだ。
そう、五代目は睨んだらしい。
「ナギ。ナギ!」
呼ばれてハッとする。そうだ、今回は名前が異なっていた。
「はい」
「指名だよ」
言われて見ると木の葉の支給服を着ている男が立っていた。俺と目が合うと、小さく口を動かした。
それは、ここに表立って警備している忍からの合図だった。
「ナギです。よろしくお願いします」
「あぁ」
連れ立って部屋に向かった。
上座に座らせると正面に座った。
「せっかく遊郭にきたのに、甘い雰囲気もないなぁ」
そんな軽口を言われて、クスッと笑った。
「手でも握りましょうか?」
そう言うとゲラゲラ笑われた。
「アンタ、上手いね。売れっ子だろ?」
「まさか。下の方ですよ。顔が平凡で指名なんか殆どなくてこういうお仕事のお手伝いをしてなんとか食べていけてます」
「そうかい?意外だなぁ」
嬉しそうに笑いながら、そっと手を握られた。
驚き見ると、男は悪戯っぽく笑った。
「手を握ってくれるのだろ?」
男らしい大きな手のひらは温かく、女体化した細い手のひらがスッポリと収まる。それをどこか他人事のように眺めた。
「美しい手だ」
そうだろう。術で作ったモノだから。
本当は目の前の男と同じごつくて太くて傷のある手だ。
「このあと抱いてもいいか?キチンと代金は払う」
何を言われたか分からずキョトンとした。
「……色をつけてもいい」
そう言われて、かぁぁっと体温が上がったのが分かった。
まさか誘われると思わなかった。だって大した容姿でもないし、任務中だし。
だが、今の俺は潜伏捜査している同胞ではなく、手伝いの遊女だ。ついでに抱いてもおかしくない。そもそもそれを生業としている女なのだ。任務中といってもそのぐらい許される。
許されるが、俺は無理だ。
「あっ、の……っ」
上擦る声をギュッと抑えた。
落ち着け。俺は今遊女なのだから。こんなことぐらいで同様してどうする。
小さく深呼吸をし、彼を見た。
「ごめんなさい。いつ報告があるか分からないので客はとってないんです」
ニッコリと笑った。
「少しだけでもダメか?」
尚も食い下がる男に、掴まれていない手でそっと包んだ。そのままゆっくりと撫でる。
「このお仕事が終ったら、是非」
そう言いながら見上げるようにチラリと見た。
上目遣いになってればいいが。
小さく息を呑む音がした気がした。彼は空いている手を更に俺の手のひらの上に重ねた。両手を包み込むようにぎゅっと掴んだ。
「約束だ」
ニコリと微笑む顔はどこか爽やかだった。
頷くと、スッと手を引き俺と向き合った。
「報告を」
静かで凛とした声が響いた。
「先日の遊女が二人殺された件だが、手口から同じ犯人だろう。ただ楠木中忍はまるで急に殺さなければならないように殺された。不幸中の幸いというか、彼女の殺しだけ急遽で焦ったのか手がかりを残していった」
「え…」
「毛髪だ。彼女の手のひらに血とともにからまっていた。とても珍しい色だったから、いい証拠になると思う」
珍しい色の毛髪。
何故か頭を後頭部から殴られたような衝撃がした。
それは、俺のよく知っている人も同じ条件だった。
まさか、と笑い飛ばしたくなる。ありえない、珍しい髪色の人など沢山いる。まだ銀とも言われてないのに。
なのに心臓は全身に鳴り響き、まるで警戒音のようだった。
「そ、れは」
何色なんですか。
そう言いかけて止めた。詮索は禁物だ。俺には裏切り者を見つける任務もある。変に探って警戒されては困る。
気になるなら、自分で調べればいい。
「毛髪は俺が預かっている。五代目しか見せない。明後日には五代目に会うつもりだ。そう伝えてくれ」
「承知しました」
それだけ言うと立ち上がった。どうやら報告は以上らしい。俺も後について部屋を出た。
店の外まで見送ると、フッと笑った。
「また来る」
「はい」
さらっと自然な様子で髪に触れた。長く黒い髪を恭しく触れると口付けた。
様になっている様子に暫し見とれた。
「約束、楽しみにしている」
名残惜しそうに手を離すとそのまま夜の闇に溶けていった。
それを静かに見送り、店の中に入った。
私情が見え隠れしている。任務中なのに。
こんなことではいけない。潜伏捜査は一瞬の気の迷いが命取りだ。私情を挟むのなどご法度だ。
見返してやるんだろ、彼を。
何をボヤっとしているのだ。
パンッと顔を叩いた。気合を入れないと。俺はここの遊女「ナギ」だ。
店に戻り店先に座った。
周りはまばらでそこそこ繁盛しているのだろう。気だるげに煙管を加える遊女たちは確かに妖艶で美しかった。
だけど少しも魅力的に感じない俺は、男として終わってしまったのかもしれない。
どんなに美しくても、彼に勝る人はいないのだから。
窓の外を見ていると、キラッと銀色の光が見えた。まさかと思い外を見るが、人が多すぎて分からなかった。
まさか、彼だろうか。
「あの人今夢中の遊女がいるらしいって専ら噂らしいぜ」
今朝の噂話が頭によぎる。
私情を挟まないと今誓ったばかりなのに。
それでも冷や汗は溢れ、動悸がした。
彼がこの街に出入りしてることなんて、知っていたのに。今更何を動揺しているのか。
気持ちを落ち着かせるためにギュッと目をつぶった。
大丈夫。見間違いだ。
その時、ワッと店内が湧いた。
「だんなぁ」
その場にいた殆どの遊女は我先にと軒先に出た。どうやら上客が来たらしい。それにしてもこんなに人気とはどこかの大名か、それとも余程の美男か。
ふと視線を上げると、女たちに囲まれてにこやかに対応する彼が立っていた。
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