彼がいる。
目の前に、確かにいる。
嫌な汗が流れる。お気に入りのモノしか寄せ付けさせなかった彼が。
何故、ここにいるんだ。
色違いの目がとろりとこちらを見た。
いつもと変わらない、冷たい目だ。
「警戒しないで」
そう言いながら。

裏で動く同胞の合図を送ってきた。

裏で動く同胞は二人だ。一人は泉。もう一人が彼なのか。
ならば。
ならば、 今までの彼の行動は全て理由がつく。
あんなに頻繁に遊郭へ通っていたのも。
会う度に白粉の匂いをつけていたのも。
休みなのに会えないのも。
全て、全て理由がつく。
全部、任務のためだったのだ。
彼は望んで人肌を求めたりしてなどいなかった。

その歓喜に、手が震えた。

「初めまして、ナギと言います」
ニコリと笑うと彼はチラッと上から下までまるで探るように見た。
「・・・・・・違うか」
ボソッと呟いた言葉にドキッとする。
「え?」
「いや、知り合いに似てる気がしたけど」
違うみたいと視線を外した。
その言葉にまだドキドキした。
いくら術を使っていたとしても、親しければ気がつくこともある。無意識の癖や口調などほんの一瞬の気の緩みが命取りとなる。そうすれば俺は全てを五代目に伝えなければならなくなり、彼との関係が露見してしまう。
『誰にもオレと付き合っていることを悟らせないで』
彼との約束が果たせなくなる。
それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない。
それに。
「報告して」
「はい。磯ヶ谷中忍が犯人と見られる珍しい色の毛髪を手に入れ、今現在私が預かっています」
「ふぅん。あるの?ここに?」
「本当は届けなければならないのですが、足を・・・」
そう言いながら足を撫でる。
「・・・数日前はなかったよね」
彼は静かな声で言った。
いつから俺が情報提供者と知ったのかは知らないが、よく見てる。
「はい、ちょっと転んでしまいました」
「葵がしたんじゃないの?」
まるで見てきたかのように言う。
一遍の隙もない。
まるで尋問のように、淡々と、確実に聞き出してくる。
だが、それは当然だ。
お互い言えない情報を抱えつつ、相手から確かな情報を引き出さないといけない。
今回は特に内通者がいるのだ。
だから、俺はまずは相手から信用されなければならない。こちらの情報を出さずにだ。
つまり「本当のようなこと」を言えばいい。
困ったように小さく笑った。
「私がどんくさくて」
どうとでもとれるような曖昧なことを言う。
「アイツ、危ないヤツだからねぇ」
彼も曖昧なことを言った。それを追求するだけ藪蛇だろうが、とても意味深で引っかかる。
そう言えば先程綾葉も同じようなことを言っていた。
彼は、こわい人だと。
「それで、毛髪を里に届ければいいの?」
当然のようにそう言った。
あまりの言い方に思わず頷きそうになる。
「いえ、これは・・・」
「何で?・・・あぁ、もしかして疑われてるの?潜入してた楠木中忍が殺されたから、内通者がいるかもしれないんだ」
言わなくてもズバズバ言い当てる。ちょっとした言葉で気がつくことが桁外れだ。そのスピードについていけない。
言葉を探すように一瞬言葉に詰まると、なるほどねと頷いた。
「その毛髪、銀髪だったんだね」
この人、やはり天才だ。
ギュッと小さく手に力を入れた。
下手なことは言えない。だけど沈黙もいけない。それはイコール肯定であり、表情で読み取られてしまう。
「・・・そうです」
嘘は言えない。だけど情報もあげたくない。
ギリギリの言葉を瞬時に判断しなければならない。
「それじゃあオレも、泉も、葵も容疑者ってワケ」
「どうして葵さんが・・・」
泉は分かる。彼の髪は黒だが一部だけ銀色だった。
だけど葵は。
葵、は?
「あれ?知らないの?」
心底驚いたような顔で、どこか演技がかった様子でこちらを見た。
「アイツついこないだばっさり切って坊主になったけど、地毛はオレと同じ」
銀髪。
カカシも、泉も、葵も。

それは一体何を指しているだろうか。

「まぁ何でもいいけど」
話を切るように視線を外した。
「オレからの報告。近々依頼人の大名がこっちに来るらしい。状況を知りたがってるって葵に伝えて」
「はい」
「それから楠木中忍と同日に殺された遊女について、評判は良くて近々身請けされる予定だったらしい。今回の遊女殺しの中で六割は身請け予定、他二割も意中の人がいる者がいるらしく、だからこそ店側は捕まえるのに躍起ではないみたい」
「と、言うと・・・?」
「もう売りきった女ってコト」
身請けする予定ということは、もうその代金は貰っているのだろう。意中の人がいる人とはつまりもうじき売りきる女。そしてそういう者は他に客をとりたがらない。正しく売りきった女。
これから売る女を殺されたのなら店も躍起になって探すだろう。だがもう取れるだけとった女は生きてても死んでてもいいのだ。
だからこそ、周りの遊女たちはどこか他人事だったのだ。自分にはそんな相手がいないから。
死んだ遊女のことを思うと苦しい。
ようやく幸せになるそんな手前で殺されたのだ。無念だっただろう。
「・・・アンタさ」
「はい?」
ジロリとまた下から上まで見定めるように目を動かした。
「ここ長いの?」
「・・・はい」
小さく頷きながら、また嫌な予感がした。
何故、また、聞いてくる。
バレている、わけではなさそうだ。
彼の目にまだ突き刺すような力はない。
もしくは疑われている・・・?
「出身は?」
「遠い北の方です。親族はもういません」
「そ」
「・・・何か?」
探るような目で見るのはやめて欲しい。
警戒を露わにすると、フッと息を吐いた。
彼は目を細め、うっとりとしながら。


「好きな人に、似てたから」

俺じゃない、どこか遠くを見て笑った。


好きな人。
『あの人の心はもう十年も前に囚われてしまっているのだから』
綾葉の言葉がまるで警告のように脳内に響き渡る。
十年前。
十年前。
彼は暗部として活躍しており、俺はあの大きな任務以来小さな任務ばかりしていた。それこそ暗部など投入されるはずのない任務ばかり。その頃会った記憶など一切ない。
だから、その言葉の先に、俺はいない。
違う人がもう十年も、彼の心をとらえて離さないのだ。
「雰囲気がどことなく似てて、なんか嬉しくなって。ジロジロ見てごめーんね」
嬉しそうに、誰かを見ている。
カチッと歯がなった。
それは悲しみに震えるためか。

それとも嫉妬に狂う怒りか。

でも、じゃあ、なんで。
何で俺と付き合っているんだ・・・。
(俺が知らないだけで、どこかで出会ったかも知れない)
そうだ。
その目の先が、俺でもおかしくない。
おかしくない、ハズだ。
「それ、て」
声が震えるのを精一杯抑える。
恋人がいるんだろ。
その想い人が俺で、恋人が俺で、十年からずっと。
「こいびと、なんです、か・・・」

バキッと嫌な音がした。
慌てて顔を上げると、柱がへこんでいた。まるで殴られたように。
彼の体がゆらりと動いた。
その瞬間の目は。
先程までの優しく愛おしいものを見つめる目が。
まるで敵を見るようにつり上がり、殺気を放った。
「ーーいない」
「え・・・?」


「恋人なんていない」




◇◇◇



外から聞こえる笑い声に、ふっと意識を浮上させる。そろそろ客が入る時間だ。俺も下に降りないと。
ムクッと起き上がり厠へ向かう。
鏡にうつる自分は、いつもと何にも変わらなかった。
目が腫れることもなければ、悲壮感漂う顔でもない。
涙など、一滴も零れなかった。
どこかで分かっていた。
彼との付き合いが異常だということを。
もっと言えば、愛されてなどいないことを。
ひどく周りを気にし、愛を送ることも受け取ることもさせなかった。
頭のどこかで分かっていた。
きっと、任務だって。
恐らく素性調査されたのだろう。たまにある事だ。何かに引っかかり、疑われていたのだろう。そこにたまたま俺が告白して、丁度良かったのだろう。
周りに知られたくなかったのは本命のため。
十年前から愛している人に誤解されないためだ。
そう考えれば、全て綺麗に繋がった。
「あーあ」
そうならあんなに心を殺して付き合わなきゃよかった。ワガママ一つ言ってみればよかった。どうせ彼は任務だから離れないだろうし、そもそも好意などないのだから好かれたいと努力したことなど無意味だったのだ。
(次にイルカとして会ったら)
一つだけワガママを言おう。
キスしてほしいと。
そしてその後笑いながら言ってやろう。
俺の方から別れようって。
それが、俺の愛だ。


俺が愛しているのは。
美しくて確かな、彼への恋心だけだ。



その時、スーッと窓から鳥が入ってきた。
インコのような、白と青の可愛らしい鳥だった。
「コンニチワァ!」
インコ独特の声に思わず笑みがこぼれた。
「こんにちは」
頭を撫でてやると足に何かが括ってある。
一見リボンのようだが、見たことがあった。
はずしてやると、そこには「コレに報告しろ 葵」と暗号で書いてあった。
彼が昨日言ってた信用できる者とはインコのことだったのか。
書いていた巻物を渡すとそれを一口で飲み込んだ。自分より大きな巻物なのに。
そして少しだけ大きくなると大きくゲップした。
変わった忍鳥だ。でも愛らしい。
「キミコオ仕事完了ダヨォ」
「アハハ、ご苦労」
頭を撫でてやると嬉しそうに目を細めた。
「モット撫デテ!」
「はいはい」
ぐりぐりと頭を撫でる。女の細い指は繊細で、どこか非現実的だった。
「元気ナイノォ?」
「いや、・・・あー、どうかなぁ」
鳥相手にどう言っていいか分からず曖昧に答えると、つぶらな瞳でこちらを見上げた。
「キミコ歌歌ウヨ」
「歌?」
「葵ノ好キナ歌。葵イツモ落チ込ンダ時歌ッテル」
鳥独特の甲高い声で歌う歌は、始め違和感しかなかったが、徐々に聞いたことがある曲だった。
昔少しだけ流行った曲。曲に疎い俺でも聞いたことがある異国の歌だった。
子守唄のようで、鎮魂歌のような優しい曲調なのに歌詞はおどろおどろしい不思議な歌。

『愛は安らぎではない。癒しでもない。快楽でもない。愛は破滅だ。だからみんな死ぬ。そしてそれが喜びなのだ』



◇◇◇



店から呼ばれていつもの定位置に座った。綾葉が俺より遅く来て、俺を見てニコリと笑い隣に座った。
「お昼も働いたのに、大変ね」
「いえ、綾葉さんも」
「私は男の人の寝るのは、食事するのと同じことだわ」
突然の言葉に、思わず目を丸くした。
「うふふ。強がってみただけよ」
「はぁ・・・」
綾葉さんは、よく分からない人だ。どこまで本音かさっぱり分からない。
虚ろな目でぼんやりと常に何かを見ている。ふわふわ何も考えてなさそうなのに、決して他人に心を触れさせない。彼女の傍に通る人たちは常に風で、意味もなく何も残さず通りすぎてしまうのだろう。
何も祈ってないのに、誰かを想ってる。
(心をあげた人)
彼女ははっきりそう言った。
彼女の心はここにはない。
あげた心はどうなってしまうのだろうか。
そしてからっぽになってしまった彼女はどうなのだろうか。
俺は。
俺の心は、今どこにあるのだろうか。
ぼんやりとした目で外を見ている。外は真っ暗だ。最も華やかな外灯がまるで昼間のように照らすこの街ではハッキリと人の顔が見えた。

ーーその瞬間、彼女の目が細くなった。

視線の先には、泉がいた。
「ナギ!指名だよ!」
呼ばれて立ち上がる。彼は穏やかな顔をしてこちらを見ていた。
歩こうとした瞬間、袖を掴まれた。
「お願いよ」
か細い声で縋るように掴む。
何がお願いか、瞬時に理解した。
昼間の約束だ。
「私、泉のこと知りたいの。何でもいい。だけどあの男は滅多に客を取らないの。情報がほしいのに滅多に姿をあらわさない。私は外に出ることが出来ない」
その代わり、カカシさんの情報を与えると。
彼女は疑っている。いや、確信してる。
彼が、雪寧を殺したのだと。
理由は分からない。ただの怨恨かもしれない。
彼は大事な里の仲間だ。仲間を売るなんてそんなこと、例え素人の遊女だろうが出来るわけない。
「お願い、ナギ」
泣き出しそうな、まるで子どものような表情にギュッと胸が押しつぶされる。
それはまさにアカデミーで教えている子どもたちのようだった。
「えぇ」
俺はしっかりと頷いた。あやす様に手を取り、背中をさすった。
「大丈夫」
精一杯の笑みでそう言うと、ふわっと笑った。
抑えきれなかった涙が零れた。
まるでガラス細工のように美しく脆い。
きっと拒絶すれば発狂しそうな危うさがある。
大丈夫、大丈夫と繰り返す。
だけど、俺の心は凪のように穏やかだ。

泉の情報など一つも漏らすつもりはない。
だけどカカシさんの情報は逃すつもりもない。

再度背中をさするとゆっくり離れていく。
「こんばんは」
「こんばんは」
手を取り、部屋に向かう。チラッと見た綾葉さんは必死にこちらを見ていた。
その目はまるで嫉妬しているかのようにギラギラとしていた。
「仲良いの?」
部屋に向かう途中珍しくそんなことを言った。
「綾葉さんですか?・・・えぇ、まぁ」
「ふーん・・・」
それ以上は何も言わなかった。だけど意識しているのは分かった。この二人きっと何かある。彼は一体彼女のことをどう思っているのか。
最も聞けないし気にしていると思わせたくないので素知らぬ顔をした。
酒をすすめるとやはり断られて代わりに膝枕をさせられた。
「そんなに好きなのですか?」
クスクス笑うと嬉しそうに笑う。
「なんか平和の象徴みたいじゃない?」
「平和の象徴?」
「急所を誰かに預けて、それが心地いいなんてさ」
そうか?イマイチ膝枕に思い入れがないから分からない。撫でてみると猫のように目を細めた。
「誰かにしてもらったらいいじゃないですか」
「恋人募集中」
「親とか」
そう言うとプッと笑われた。今のは完全に失言だった。大の大人に親に甘えろなんて。
だけどなんだか子どもみたいでつい声に出てしまったのだ。
「両親を早く亡くして、人に甘える方を知らないんだ」
「そう、ですか・・・」
「姉はいたけどソリが合わないし」
「兄弟はいいですね。私は一人っ子だったから」
「ソリの合わない兄弟は他人より面倒だよ」
やけにきっぱり言い切った。本当に仲が悪いみたいだ。兄弟など作ろうと思ってできるわけではないのに。昔欲しくてひどく親にねだったことがあったなぁと思い出した。
「あー離れ難い心地良さだなぁ」
「私の膝は中毒性があるんですか」
「うん。絶品」
この人俺の正体知ったら憤慨しないかなぁ。こんな幸せそうな顔をされると申し訳なく感じる。
男の膝に寝転がったと一生知らないといいけど。
「報告ね」
表情も体制も変えず言う。思わず一人だけ背筋が伸びる。
「依頼人とコンタクトが取れた。明日の夜話し合いがある。会うのは葵隊長。場所はここ」
「はい」
「知らない人くるけど通してあげて。話し合い中は結界張るから会話は聞こえないから安心してね」
「はい」
「以上、今日の仕事終わり!」
ガバッと腰に抱きつかれて慌てる。
「ちょっ!!」
「あはは、まるで生娘みたいな初々しさだね。それって天然?演技?」
そう言われてドキッとした。確かに俺は今遊女だった。まるで生娘みたいな反応はおかしい。例え俺が童貞だとしても。
少しぐらい触らせて妖艶に微笑み、誘惑したって不思議じゃない。

だけどムッとしたので思いっきり抓ってやった。

「ーー痛っ!」
「おいたはダメですよ」
そっと俺の腰から手を外すと、口を尖らせた。
「ここから先は有料ですよ」
「払うよ。いくら?」
目がマジだった。全く冗談が通じない。
「お金なんて無粋なモノはいりません」
ニコッと微笑む。
まるで気高く美しい太夫のように。
すると簾のように垂れていた髪を優しく掴まれた。指で滑るように撫でられ、絡ませた。
そしてうっとりと笑う。

「そういうとこ、あの人にそっくり」

あの人。
あの人あのひと。
彼は誰を思っているだろう。
俺に似ていると言った人だろうか。


皆誰かを思っている。
人の心には誰しも誰かがいるのだ。

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