トントン、と戸を叩く音がして開けると、やはり、綾葉が立っていた。
来るだろうなとは思っていたが、やはり来たか。
「どうぞ」
そう言うと嬉しそうに笑った。
「昨日はあの男と何話したの?」
単刀直入に言われた。
彼女の表情はどこか切羽詰まった顔に焦りを感じた。
「特になにも」
そう言うと目に見えて落ち込んだ。
それを確認するとただ、と続ける。
「想っている人が、いるみたいです」
そう言うと目を輝かせた。
まるでその言葉を待っていたかのように。
その顔にやはり、と思う。
「それは誰?どんな人?」
「そこは言われませんでした。ただ、気の強そうな仕草をすると反応していました」
「そう!そう!そうなのね!」
はしゃぎながら手を叩く。今までとは比べ物にならないほど生き生きとしていた。
「やっぱり、そうなのね!あぁ、そうなの!」
うっとりと妖艶に笑う。

「やっぱり雪姉のこと今でも愛してるんだわ」

綾葉は望んでいるのだ。
雪寧は愛されて、愛故に泉に殺されたのだ。
殺された行為は、愛していたからこそ。
そして今でも愛しているのだと。
それは、殺された動機を探るためというよりは、ただただ彼女が愛されたという証明を探しているかのようだった。
「雪姉は本当に素晴らしい人だから、殺したいほど愛してる気持ちは分かるわ」
嬉しそうに俺の手を握る。
ねぇ、そうでしょ?と言うかのように。
俺は何も言わずジッと彼女を見つめた。
下手に刺激したくない。彼女に何が出来るか分からないが、それでもこんなにも恨んでいるのだから。
一応泉にも昨日、綾葉が貴方のことを殺そうとしていると伝えた。
彼は苦笑して「知ってるよ」と言った。
何もかも知っているような口調だった。
彼女の艶やかな黒髪が揺れる。

「早く殺してあげないと」

うふふ、と真っ赤な唇が歪に弧をえがいた。
暫く余韻に浸っていると、急に正気に戻ったかのように人間らしい表情になった。
「ごめんなさい、私ばかりお話して。はたけ様のお話しましょ」
あまりのギャップについていけない。
先程までまるで呪い殺す魔女のような風貌だったのに、今は恋バナする少女のようだった。
「はたけ様は私を部屋に呼んでも酒を飲むだけ。私の話を聞きながらたまにポツポツお話してくださるの」
「話・・・」
「大抵は好きな方のお話ね。今日も可愛かったとか、触れられなくて寂しいとか」
その言葉に衝撃を受ける。
「近くに、いるんですか?」
「ええ。よくお会いしているみたい」
あっさりとそう言い切った。
てっきり手に届かない、遠くにいるからまだ手を出していないのだと思った。
だけどそうではない。傍にいる。
それはつまり。
(木の葉の里の人間・・・)
俺の、傍にいる人だ。
では何故手を出さないのか。
手を出せない理由は。
(何か特殊な任務にあたっているのか・・・?)
だが、十年もか?
里外ならありえるが、里内でなどあるのか。
それともどこか別のところで会っているのか。
そうやって考えれば考えるほど、カカシさんの情報を知らない。休日何をしてるのか。何が好きで、何が嫌いなのか。何一つ知らない。
これで恋人など、本当笑える。
「はたけ様はね」
俯いた俺の頬にそっと触れる。
「私の中で唯一褒めてくださったことがあるの」
頬を触れていた指が滑るようにおり、俺の長い黒髪に触れた。
「黒い髪」
彼女と同じ、黒い髪。
今の俺と同じ。
そして。
「あの人のようだと、言ってくださったの」
そして。
海野イルカと、同じ黒い髪。

それだけで俺の告白に頷いてくれたのか。


ふざけんじゃねぇよ。


彼女の手を振り払い、俺は傍にあった小さな化粧箱からハサミを取り出した。
そして躊躇なく切り落とした。
黒い髪を。
「ナギさ・・・っ」
綾葉さんから悲鳴のような声が聞こえたが構わず肩までバッサリ切り落とした。
ぱらぱらと舞う髪は、まるで花びらのようだった。
「どうして・・・」
「そんなまがい物いらない」
「バカねぇ」
まるで母親のような口調で俺を抱きしめてくれた。
優しく優しく。
甘やかすように。
ふわりと香る匂いは遊女にしては主張のない、ほんのり香る柑橘系の香りだった。
できることならこのまま胸を借りて泣きじゃくりたい。

「好かれないのは悪いことではないわ」

慰めとは違う、どこか力強く、何故か悲しくない言葉だった。
心に冷たい風が吹く。まるで冬の訪れを伝えるような冷たい風。それは身を切るような冷たさなのに、切なくてどこか心地いい。
好かれたいと思ってた。
好きだった。
彼ほど好きになった人はいない。そのぐらい強く確かに思ってた。
だけど彼はそうではなかった。俺の想いを受け止めてくれたけど、彼の好きな人は俺じゃなかった。
俺はそれに絶望したけど、だけどそれは悪いことじゃない。好きな人に好かれるなんて珍しいことだし、それを否定することは彼の想いを否定することだ。俺の想いを受け止めてほしいが彼の想いを否定する、それはなんて傲慢なのだろう。
想いが通じ合わないのは悲しいとこだが、だけど悪いことではない。

誰も悪くないし、誰も俺の想いを否定するわけでもないのだから。

(そうか・・・)
そうだといいな。




暫くして下から綾葉さんを呼ぶ声がした。
「客よー」
「はぁい」
返事をすると少し不満そうな顔をした。
「今日は私ね。もぅいつも邪魔が入るわ」
「また、会いに行きます」
そう言うと、ふわっと花が綻ぶように笑った。
「えぇ、約束よ」
その表情に安堵する。どうやら彼女の懐に入れたみたいだ。共感できるモノがあってよかった。
立ち上がり、扉を開けようとした瞬間。
外から扉が開いた。

慣れた様子のカカシさんが立っていた。

目が合うと、ニコリと笑われた。
「ここだって聞いたから。こんにちは」
「こ、んにちは・・・」
呆然となりながら、なんとか声を絞り出した。いきなりの事に頭がついていかない。
「はたけ様、ダメですよ。女性の部屋を無断で覗いては」
「ごめんね。楽しそうな声がしたから」
綾葉が咎めても飄々としている。
近づく綾葉の横を通り過ぎると、俺の目の前で膝をついた。

「髪、切ったんだね」

痺れるような甘い声で、そっと切った髪に触れた。
短く、肩までになった髪を。
綾葉が遠くで苦笑しているのをどこかハッキリと見えた。

「綺麗だったのに、もったいない」

(そうか・・・)
長くて黒い髪。
まとわりつくような長い髪は、まるで動きを封じる牢獄のようだ。

それが、もったいない?

そうかな。
そうなのかな。


(まさか)

そんなことはない。
そんなこと、誰よりも俺が知っている。


「私にはこれぐらいが似合いますよ」

海野イルカと同じ長さが、俺には一番似合う。


そう言うと驚いた様に目を見開いた。
まるでその言葉は想像しなかったかのように。
その顔に少しスッとした。
俺はアンタの好きな人の代わりじゃない。
張りぼてでも人形でもない。
ジッと睨みつけた。
「ーーへぇ」
彼は低い声で頷いた。
どこか挑戦的な口調なのに。

なのに目は、どこか愛おし者を見る目だった。


俺には。
海野イルカには、一度もしてくれなかったのに。


「やっぱり、アンタ似てる」


見るな。
そんな目で、俺を見るな。



◇◇◇



「具合が悪そうだな」
葵の言葉にハッとする。
しまった。完全に油断していた。
「すみません・・・」
「無理するな。今日はすぐ休め」
気を使われて恥ずかしく、情けない。
こんなことで落ち込んでいる場合じゃない。今日は依頼人と会うのだから。
依頼人は、確か身請けして妻にしようとした遊女を殺されてしまった大名だ。
莫大な金をかけ、必ず捕まえるようにと依頼してきた。
その執着は、確かだった。
「進捗状況を知りたいなんて、どうしたのでしょうか」
「この依頼人はよくあることだ。定期的に知りたがる。まぁ伝えることがなくても何も言わないから気が楽だがな」
成程。だからすぐにセッティングされたのか。
「前に依頼人と会ったのは・・・、そうか、楠木が生きてた時だったな」
楠木。
どこか寂しげに聞こえたのは、同じ任務にあった知り合いだからか。
「楠木中忍とはどんな人だったのですか?」
「・・・あぁ、良い奴だったよ。賢くて潜入捜査では引く手数多だった。こんなことで死ぬなんて本当に惜しい」
「そうですか・・・」
「個人的にも彼女ら兄弟とは親しくてな。悔しいよ」
知り合いだったのか。
身近な人の死が近いのは仕方がないとはいえ、慣れることではないし、どれも寂しくて悲しい。
それがもしかしたら、同じ里の、もしかしたら今一緒に任務にあたっている者かもしれないのだ。心境は計り知れない。
「仲間の犯行だと思いますか?」
思い切って聞いてみると、フッと笑われた。

「少なくとも、泉とカカシはないよ」

あっさりと、断言した。
どちらも、銀髪の二人なのに。
「どうしてですか?」
「理由がないからな」
「理由がなくても殺せます」
「じゃあ、意味がないからかな」
意味がなくても殺せる。
だけど彼が言っていることはそんなことではない気がした。だけどそれが何なのか分からない。
顔を歪める俺を彼は声を出して笑う。
「それからな」
「はい」

「泉もカカシも、勿論俺も。殺すならもっとうまく殺れる」

そう言って俺の首に手を這わせた。いつ動いたのか見えなかった。彼がその気になれば俺など一瞬で血も流さず殺せるだろう。
だがその手は何もせず静かにどけた。
「そういえば、カカシに会ったんだってな」
「はい」
彼は裏で動くが同じ任務にあたっているはずだ。
接触があって当たり前だろう。
「どうしてですか?」
首を傾げると困ったように笑った。

「アイツ、めんどくさがって楠木とは滅多に会わずに式ばっかりで報告してたのに。・・・何を考えてるだろうな」

滅多に会わなかった・・・?
式だけで報告出来なくもないがリスクもでる。そこまでやる必要はあるのか?
綾葉には会っていたのに。
それともそう報告していただけで、事実は違うのか。
疑ってしまえば限りがない。
だけど何か引っかかった。
その時、下から呼ばれた。
「依頼人だろうな」
俺は頷くと下に降りた。
約束の時間より少し早い。
入口まで行き、パッと顔を上げた瞬間。


そこには懐かしい人物が立っていた。


「こんばんは」
そう微笑む顔は昔と少しも変わってない。
あの頃より背が高くなり、大人の顔つきになったが、笑う顔はどこか幼く、昔同様えくぼがあった。
「はじめまして、璃宮といいます」

あぁ、海野イルカじゃなくて心底よかったと思った。

「はじめまして、ナギです」
俺も何事も無かったかのように笑う。
今の俺は遊女のナギだから。

そこにいたのは、昔跡目争いで命を狙われた正室の子。小姓して彼のそばで潜入捜査したあの時の青年、璃宮だった。
彼はあのまま城を継いだと思っていたのに。
(大名になったのか・・・)
あれからきっと、色々あったのだろう。あの時跡継ぎとなったが永遠そうとは限らないのだから。
「こちらです」
背を向け、部屋に案内する。
今日は部屋に璃宮を案内すれば、あとは葵が結界を張り中で報告するのを別の部屋で待機していればいい。
思わぬ再会に驚いたが、このまま会うことはないだろう。ソワソワする気持ちを抑える。バレたとこらで今更何にもないだろうが、どこか不安になる。
早く部屋に行って別れたい。
思わず早足になるのは仕方ないだろう。
自身の部屋が見えてホッとしたところで。

急に髪に触れられた。

「わっ!!」
慌てて振り返ると、目を大きく見開いてキョトンとしている彼がいた。
「あ、えっと、何か・・・?」
「いえ、下手な切り口だと思いまして。せっかくの綺麗な黒髪なのに」
「あははは」
しまった。切りっぱなしにしてそのまま適当に結んでいた。遊女なら綺麗に着飾るのは当然なのに。
「すみません、私が適当に切って」
「おや、髪結いがいないのですか?」
「いえ、ちょっと・・・」
まさか好きな人に比べられて怒って切ったとは言えない。適当に誤魔化すとそれ以上は聞いてこなかった。近いうちに切り直してもらおう。
「前の方と別なのですね」
楠木中忍のことだろう。
その質問に内心眉を顰める。
どこまで知っているか分からないし、彼女の死を告げていいのか分からないのでこちらから答えることはできない。
「新しく入ってきたばかりで、大したことはできないのですが」
「貴方も忍ですか?」
「いえ、遊女です」
そう答えると、どこか嬉しそうな顔をした。
「よかった。ではまた会えますね」
そんなことサラッと言えるところは昔と同じだ。
思わず笑ってしまいそうになるのをグッと我慢する。
「暫くはこの任務に付きっきりですが、終わったら会いにきてください」
そんな営業トークを伝えると彼は笑った。

「そうですね」

そのまま、部屋に通すと別の部屋に行った。
今日はこれで終わりだ。
ふぅーっと息を吐いて着替える。このまま寝てしまえ。


目をつぶれば昔の記憶が蘇る。
璃宮はある城の正室の子どもだった。正室の子どもは三人。側室は二人いて、その子どもは四人。
正室は璃宮が幼い頃に亡くなった。暗殺されたとも自殺したとも言われていた。側室の一人が寵愛され、その息子二人がなにかと優遇されていた。それを家臣たちはよく思っていなかった。
だが、璃宮は体が弱く病気がちだった。性格も内気で優しすぎた。逆に一つ年下の弟は勝気で体もも大きく、なにより父親にそっくりだった。そこでもまた諍いが起き、家臣たちも二つに別れた。とにかく内情はぐちゃぐちゃで、誰を信じていいか分からず、誰が裏切ってもおかしくない状況だった。
そんな状況で、璃宮は最初冷たい目をしていた。冷めた目で世界を見下ろしていた。
そんな彼の懐に入るのは容易ではなく、昼夜構わず常に傍におり、そして俺の心を見せた。
忍であるということ以外、全て見せた。
そうやって静かに、確かに、少しずつ彼の心に入っていった。
そして気がついたのが、彼は何も教えられてなかった。教養から世界の情勢、生きていく術。それらは正室が亡くなってからは誰も教えてくれなかったらしい。
だから俺は教えた。
きっと、この任務を終えて、彼が跡取りになったところで、それですべて終わりではない。また新たな側室の子どもが産まれるかもしれない。生き残った兄弟が火種となるかもしれない。次は俺たちが味方であるとは限らないのだ。
だから、生きていく全ての知識と技を。
教えられる限り、全て。
それが、まさか彼の心に入り込みすぎて惚れられるとは思ってもみなかった。
俺も純粋に慕う彼を見て嫌な気はせず、兄弟のように思っていたのは否めない。幸せになって欲しいとは思ったが、幸せにしてあげたいとは思っていない。
直属の上司にもやりすぎだと怒られた。
ものには限度がある、特に十代の心はな。
そう言いながらも尻拭いをしてくれた彼には感謝しかない。俺が教えた全ての知識をフル稼働させ俺を手元に残せるよう必死な璃宮を見て、こんなことしてほしくて教えた訳では無いと思った。

「貴方のこと、愛してるんです。この先何があっても変わらない。ずっとずっと貴方だけを愛してる」

そう縋る璃宮を、俺は切り離した。とても手に負えなかった。俺は忍で、俺のすべては木の葉の里のものだから。
「貴方が手に入るなら他を全部捨てたっていい」
イルカ、イルカと悲痛に叫ぶ声はまだ耳に残っている。
それでも俺の心は静かだった。
冷静に、ただ任務と里のために何が出来るか考えていた。
今だってそうだ。
だけど。
彼はあれから立ち直り、大名となっていたが、愛する人を見つけられたのだ。その人が殺されてしまったのは可哀想だが、誰かをまた愛せた。

「貴方以外好きにならない。永遠に」

彼はよくそう言っていたが、そんなことはない。
誰か一人を永遠に愛するなんて、そんなこと十代の世間を知らない子どもの世迷言だ。
どんなに悲しくても腹が減るのと同じで、いつかまた誰かを好きになる。

俺だって。

俺だってきっと。
きっと、いつか、カカシさん以外の人を好きになれるのだろう。


そう思うと嬉しいはずなのに、なんだか虚しくて悔しくて悲しい。

愛とは絶対なのに、つまらないものだ。




式の音で目が覚めた。
慌てて起き上がるとまだ深夜だった。
隣からはまだ人の気配がした。
こんな時間に誰だろう。
慌てて式を見ると綱手様だった。
持つ手が震えた。


早朝、一度里に戻れ


すぐに消えたソレを呆然と見つめた。
嫌な予感がした。
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